辻村深月 『子どもたちは夜と遊ぶ 上下』

子どもたちは夜と遊ぶ(上)子どもたちは夜と遊ぶ(下)

 ミステリとして読んだ場合は、犯人である"i"に関してはほぼ初期から察しがついてしまうので、正直上下巻のボリュームが必要な話かと言われれば微妙なところ。
 それぞれ挿入されている場面についても人物についても、その描写は非常に抑えた筆致でありながら深く印象的に描かれていますが、特に人物描写に関してはリアリティがあるのかと言われれば「こんな大学生いるわけがない」という穿った見方も出来てしまいます。
 ただ、この辺は完全に読み手の好き嫌いでしょう。私個人は決して嫌いではありませんが、この著者の感性が合わない人には、ひたすら読むのが苦痛なだけの、リアリティから乖離して作り込まれた人物の掘り下げの連続でしかないかもしれません。

 二人だけの殺人ゲームを繰り広げる"i"と"θ"のやりとりを、章の最後に挿入すると言う形式は面白いですが、こういった様式を十全に生かすほどには、物語り全体のパズル性は高くありません。その意味では童謡殺人のようなメッセージの出し方とか、必要があったのかなという疑問も残ります(もっともあれは、そういった意味合いではなく、"i"と"θ"の抱える幼年時代を想起させる効果を狙ってのものなのでしょうが。ですが、そうであるならば尚更、「劇場型犯罪の犯人が残していく手がかり」として挿入することについても賛否はありそうなものですけれども)。

 ただ、各登場人物への書き込みの仕方や、全体を通して表現される、人間の持つ救い難い悲しみのようなものというテーマに関しては、そこまでやる必要があるのかというほどに深く掘り下げられています。
 それでいながら最後の最後で、どこか救いにもならない程度であっても救いを入れてしまう甘さがあるから、「救いのない話」にはならないのかもしれませんね。ただ、そうしたものをこれでもかと言うほどに丁寧に書き込んでいるだけに、"i"と"θ"の心理面の描写が結局、どこかで見たようなものになってしまっていることが残念です。