[読了] ヒラリー・ウォー 『この町の誰かが』

この町の誰かが

 住人のほとんどが顔見知りのような小さな町で、どこにでもいるような平凡な女子高生が殺された事件に関して、全編がインタビューと会議の発言記録で構成される作品です。
 当初は事件のあった日に目撃された余所者が犯人かと思われていたのが、途中でそうではないことが判明します。そして余所者が犯人で無かったのならば、「この町の誰かが」犯行を犯したのだということになり、そこから平和でのどかだった町の表面からは見えなかった部分が暴かれていく過程が、本書の醍醐味でしょう。
 疑心暗鬼に陥る人たちは、コミュニティのエゴとでも言うべき部分をあからさまにし始めます。それは最初は余所者、次には町に住み着く精神病を患う男、その次には黒人と、「自分たちでない誰か」という異質な部分を必死で見つけてきては槍玉に上げて、都合の悪い部分を押し被せようとします。
 その結果、殺人事件ではないけれども次々と「被害者」が出てしまうという、異質なものを排除しようとする集団のエゴが徐々に鮮明になってくるのが、何とも良い意味で後味の悪い作品でした。
 ただし、普通の推理小説のように犯人探しという部分は、あまり重視されていないのか、最後に真相が明らかになった時の衝撃というのは格別にありませんでした。それは多分、終始ドキュメンタリー形式で繋げられているために定まった視点が存在せず、特定の誰かにポイントを置いて読み進めるのが困難だからかもしれません。

 恩田陸の『ユージニア』はこの作品が構想のきっかけになったそうですが、その比較という意味から言えば、『ユージニア』はこの手法を上手く取り入れて、一貫して何のための記録かを明確に打ち出したことでより物語性が高められているような気もします。