実は「三年坂で転んでね」という謎めいた言葉を残し、実之の兄は帝大を辞めた上に腹に負った傷が原因で死んでしまいます。
兄が死んだことで、ゆくゆくは帝大に入るために一高を受験することになった実之ですが、兄の死の直接の原因と、そして兄が東京で探していたという二十年も行方知れずの父の手掛かりを探し、東京で「三年坂」の謎を追い始めます。
物語は、実之が受験勉強すらそっちのけで「三年坂」を探すパートと、洋行帰りの鍍金という風変わりな先生が、東京を火の海にしてしまうという陰謀を検証するために調査をするパートとに別れ、それらが交互に展開されて最後に結び付くという形式を取っています。
序盤から中盤にかけ、実之が三年坂を探すことで物語がどの地点に着地をするのかが中々見えないながらも、都市の変遷の中で坂の名前が変わっていく姿が浮き彫りになる面白さに、徐々に引き込まれていきました。
そして鍍金が語る大火の中を走る人力車の夢の話が、終盤でその意味を明らかにして、実之の父の存在がようやく二つのパートを結び付ける辺りの持って行きかたは、非常に上手いと言えるでしょう。
ただ全体的に、物語が動く契機であるはずの実之の兄の死の謎そのものは、途中から些かぼやけ気味であったかもしれません。兄の死の真相そのものも、何だか終盤も差し迫って唐突に出てきたという感じは受けますし、犯人の心の動きは最後にとって付けられたような印象もあります。さらには、実之が真相に辿り着くのを快く思わない人物達の行動も、今ひとつ説得力の面で弱いのではないでしょうか。
何度も繰り返される坂の名前に関する話は、都市の物語としては面白い反面、リーダビリティという観点からすれば、物語り全体としては少々くどかった部分もあるかもしれません。
全体的にリーダビリティの面では少々厳しいですが、歴史資料を下敷きにした都市ミステリーとしての面白さや、明治中期という混沌とした時代の空気、あるいは見通しの付かない受験勉強に心を蝕まれる実之や探偵としての鍍金の人物など、読者を惹きつける要素は備えた1冊でした。