京極夏彦 『邪魅の雫』 

邪魅の雫
「殺してやろう」「死のうかな」「殺したよ」「殺されて仕舞いました」「俺は人殺しなんだ」「死んだのか」「―自首してください」「死ねばお終いなのだ」「ひとごろしは報いを受けねばならない」

 こうした「死」「殺人」に関わるフレーズで統一した語り出しで連鎖する各節は、事件の当事者たちや、捜査陣、そしてそこに巻き込まれるだけの人間の視点でそれぞれ語られることになります。
 それぞれの視点で語られるが故に、読者は混乱し、最後に京極堂によって謎が現実レベルにまで解体されるまでは物語の構造そのものが分からないという、非常に複雑で緻密な構造の作品となっています。その意味ではボリュームがあるにも関わらず、再読の必要の大きな1冊で、かなりの時間をこの1冊に費やすことになりました。

 いつもの妖怪話や独特の薀蓄は殆どないのですが、視点が目まぐるしく入れ替わりながらただ淡々と物語は展開することで、ある種の混乱と共に物語りは膨大に積み重ねられていきます。事件にとってはあくまでも部外者で、巻き込まれるだけの異物である関口たちによって語られる、事件そのものとはそれほど直接に関わりの無い事柄が、実は物語の構造そのものの本質にも触れているなど、とにかく作り込まれた作品だと言えるでしょう。
 読者を、そして捜査陣や事件の部外者である関口らを混乱させる錯誤に関しては、かなり早い時期に、しかもかなりフェアに提示されるため、おぼろげにはこの構造を予測することになります。ですが、人間を含むあらゆる情報は、それぞれの主体の中で記号化され認識されるがゆえに、同じ「世間」の構成要員でなければ錯誤が生まれるという点を非常に上手く処理しており、中々全体像を掴むのが難しかった作品でした。

 ただ、初期の頃にあったような、憑き物落としが行われることによる世界の再構築のカタルシスのようなものという面では、本作は弱かったかなという印象。