海堂尊 『医学のたまご』

医学のたまご (ミステリーYA!) (ミステリーYA!)

 桜宮のごく普通の少年である曽根崎薫は、ひょんなことから文部科学省のプロジェクトで、中学生として義務教育を受ける傍らで東城大学の医学部にも籍を置いて研究をすることになってしまいます。医学どころか英語の成績も良くない薫ですが、天才中学生として扱われてしまい、挙句の果てに実験では信じられないような大発見とも言える結果を出してしまいます。薫を利用する解剖学教室の教授の藤田によって、薫自身とはかけ離れた「天才中学生」がどんどん大きくなって一人歩きをし、医学のことなど何ひとつ分からない薫は最先端の研究とツルカメ算の勉強を同時にする生活を送ることになります。ですが、このことで彼は予想もしていなかった事態に陥ってしまいます。

 田口をはじめとした東城大学の面々や、黄金地球儀に関係する登場人物も顔や名前を見せますが、本作はあくまでも主人公の中学生の触れる世界が描かれており、既刊作品のレギュラーたちはあくまでもその世界を支えるバイプレーヤーに徹しています。
 各章のタイトルにもなっているのは、ほとんどがカオル父親の金言ですが、それらの象徴的な言葉に導かれて進んでいく物語は、どこまでも子どもの狡さと愚かさ、そして歪みのない視点によって描かれます。
 本当は普通の中学生に過ぎないのに、ちょっとした「やりすぎ」から医学部へ行くことになってしまった薫は、ゲームの理論の世界的な研究者である父親の金言を思い出しながら、機知と要領と運で次々にハードルを越えていきます。ですがそうやって作り出された「天才」の虚像は、当然破綻をきたすことになります。そして破綻をきたしてから初めて薫が現実を見据え、真っ直ぐな勇気だけで、作り出してしまった歪みと対峙する姿は、嘘や誤魔化しを重ね続けて一線を越えてしまい後戻りが出来なくなる大人の姿とは、どこまでも対照的なものです。
 これまで海堂作品で描かれてきた痛快さや格好良さは、ジュブナイルとしての体裁の中にも生きており、本作はあくまでも「子ども」の未熟な視点で語られるからこその高いエンターテインメント性を生み出しています。
 読み始めは多少戸惑った横書きの体裁も、作品の中にあるコンセプトと合致しており、良い意味で著者のあざとさが細部まで光る1冊であったと言えるでしょう。