東川篤哉 『もう誘拐なんてしない』

もう誘拐なんてしない
 夏休みにアルバイトでたこ焼き屋台をすることになった翔太郎は、繁華街の外れでヤクザに追われていた女子高生を助けることになってしまいます。ですがこの女子高生は実は地元のヤクザ花園組の組長の娘の絵梨香であり、単に過保護な父親の見張りから逃げているだけでした。ですが、離婚した母親のところにいる病気の妹を助けるために手術代を工面したがる絵梨香のために、翔太郎は狂言誘拐を企てることになります。

 東川作品の特徴的な、少し情けない主人公の味といい、寒く滑った会話のテンポといい、そして決して大技ではないもののさり気なく盛り込まれたミステリの堅実な上手さといい、非常にバランスの取れた作品であると言えるでしょう。
 正直なところデビュー作あたりでは寒いユーモアのセンスで疲れてしまうこともなきにしも非ずだったのですが、その辺りの加減が非常に上手くなったという印象。情けない翔太郎の個性といい、小ズルイ先輩の甲本やいい感じに浮世離れした絵梨香やヤクザの面々など、どの人物にも好感が持て、テンポ良く読める作品となっています。
 さらに、誘拐のメインイベントである身代金の受け渡し前後の攻防の演出も上手いですし、狂言誘拐そのものを巻き込んだ殺人事件のトリックなども、随所に張り巡らされた伏線やさりげない手掛かりの提示が非常に巧妙であり、軽く読み流せるながらも実は緻密に構成されたミステリとしての醍醐味を味わえます。
 終盤で事件の真相が解き明かされる展開に関しては、若干詰め込みすぎて駆け足になった印象もありますし、物語の終わりかたとしてはもう少し何か欲しかったという部分もありますが、総じて一定以上のクオリティを評価の出来る作品と言えるでしょう。