海堂尊 『ジーン・ワルツ』

ジーン・ワルツ

 人工授精のスペシャリスト曽根崎理恵は、帝華大学医学部の産婦人科教室で発生学の教鞭を取る傍ら、個人のクリニックである「マリアクリニック」で最後の患者5人の妊婦を診察しています。マリアクリニックは院長が癌で病の床に伏していることもあり、この5人の患者の出産が終われば閉鎖されることになっています。実際に医療の現場の医師として戦う理恵は、崩壊しつつある医療の現実と、それを理解しようともしない行政に怒りを隠そうとしません。そんな彼女の姿勢に危惧を覚える同僚の清川は、上司の屋敷教授を通じて理恵が代理母出産に手を染めているという疑惑を聞かされます。

 実際にそれを肌で感じる機会のある著者だからこそ、厚生労働省の打ち出す政策と現場医療の齟齬、そして学問としての「医学」と現場での「医療」の乖離などの問題意識が強く打ち出された作品。
 自然に妊娠した二人の女性、望まぬ妊娠をして堕胎をしたいと言う19歳の少女、5年以上も不妊治療に通ってようやく妊娠出来た女性、55歳という高齢でありながら人工授精で双子を授かった女性。それぞれに事情を抱えた年齢も立場も異なる彼女らですが、皮肉なほど平等に襲い掛かるリスクを超えなくては出産に至ることは出来ません。そこには命の誕生がいかに奇跡的であるのかということが、医学的に裏打ちされて描き出されています。
 理恵の患者である彼女らが、それぞれに自らの胎内に宿った子どもを介して「命」に向き合う姿と、同じ女性でありながら医者として別の土俵でも戦う理恵の姿が非常に生々しく描かれる本作は、実際にそこにある命という「現実」を受入れるべき社会が、「制度」によって歪められてしまっているのを見事に描き出しています。
 これら本作で描かれるテーマは非常に社会的なものですが、キャラクターの良さや巧みな展開の運びでもってリーダビリティの高さで読まされてしまう辺り、これまで着実にヒット作を送り出してきた著者の手腕がうかがえるでしょう。これまで同著者の作品においては、キャラクターだけが立ち過ぎて、どこか「キャラクター先行」の雰囲気も強かったように思いますが、本作においてはそこら辺のバランスが上手く押さえられていて、より一層物語のテーマが明確に打ち出されていると言えるでしょう。
 理恵が戦いを挑むために取った手法は、必ずしも正しいと言えない部分もあり、あるいはそれは批判されるべきなのかもしれません。ですが、行政をはじめとした社会の意識そのものが現実に追いついていなくとも、問答無用で迫ってくる「現実」に向き合った時に「ではどうするのか」、という切実な「問いかけ」がそこには描かれています。
 結末部分で理恵の真意が明かされた瞬間、「冷徹な魔女」という彼女の呼称が見事にピタリとはまりました。