高田崇史 『毒草師 白蛇の洗礼』 

毒草師 白蛇の洗礼
 一つの茶碗から回し飲みをする濃茶の茶席で、成分のはっきりしない毒物で茶会の客の一人が不審死を遂げます。上司の命令でこの事件に首を突っ込むことになった編集者の西田は、関係者が集うカルチャースクールで茶道を習い始めます。そこで親しくなった容疑者の一人の神凪百合への疑いを晴らそうと、西田は前の事件で知り合った風変わりな「毒草師」を名乗る御名方史紋に相談をもちかけます。

 歴史の闇に埋もれた謎と現代に起こる事件を扱うQEDシリーズの脇役、「毒草師」御名方史紋を謎解き役に据えた番外編の2作目。
 主人公の西田の個性があまりにもニュートラル過ぎて、インパクトに欠ける部分はあるものの、過剰にキャラクター主導に陥らない視点は個人的には好感が持てました。
 また、茶道の千家流の祖である茶聖、千利休にまつわる謎と事件のバランスや絡み具合は、むしろQEDシリーズ本編よりもすっきりと纏まっている印象があります。メインの一つの利休の謎そのものは相変わらずのトンデモ系であることは間違いないですし、現実の事件における個々の登場人物の行動への説得力と言う意味では弱さも幾つか見られるものの、物語内における整合性には破綻をきたすほどではないですし、利休というテーマの処理も、本編にはない着眼点と面白さがあると言えるでしょう。
 トリックの中核を構成する(以下ネタバレ反転)毒の存在や毒への耐性という部分に関しては、さすがにミステリとしてのリアリティ上はどうなんだろうという見方もありそうですが、あくまでも一フィクション、エンターテインメントとして読むのであればそれこそが犯行の動機やトリックにとって必要不可欠な要素として組み入れられているので、私個人にはマイナス評価の対象にはなりませんでした。
 ただし、「毒草師」という要素ならではのこととはいえ、毎回未知の毒薬が事件に重要な役割を果たすことに関しては、今後こちらのシリーズが展開する上では、本編同様のマンネリ化に陥る要因になりそうな点が気になります。