有栖川有栖 『妃は船を沈める』

妃は船を沈める
 願い事を三つ叶えてくれるけれども、その代償として相応の残酷な災厄をもたらすという猿の手――それを持っているという「妃」の名で呼ばれる女と、彼女を慕って周りに集う若い男性達。車で海に落ちて死んだ男性を殺した容疑者として挙げられたのは、彼の妻で催眠ダイエットのサロンを営む女性、被害者に多額の金を貸していた「妃」こと妃沙子、彼女の養子の青年の三人でした。アリスとの「猿の手」の談義から、犯罪学者の火村は事件のカラクリを見抜きます。

 本書は、ジェイコブズの短編怪奇小説を下敷きにし、『猿の左手』『幕間』『残酷な揺り籠』の三篇から有栖川有栖版の『猿の手』ともいえる作品を形成しています。
 帯では「臨床犯罪学者・火村英生、かつてない強敵と対峙す!」と煽られているものの、『猿の左手』にしろ『残酷な揺り籠』にしろ、トリック自体はそう大仕掛けというわけでもありませんし、「強敵」も犯人対探偵という構図で見れば、決して難易度の高い犯罪を仕掛けてきているわけではありません。
 特に『残酷な揺り籠』においては、火村と犯人との対決においても、決定的な物証があるわけでもなく、単に推理をぶつけていると言わざるを得ない結末ですし、通常の密室物・フーダニットよりもホワイダニットの追求の物語であると言えるでしょう。
 勿論、真相へ至る思考の道筋は伏線からしっかりと破綻なく張られているものの、ミステリにおけるゲーム性よりも叙情性のようなものを重視する作風は、読み手によって評価が分かれる部分もあるかもしれません。
 ですがなんと言っても、本書の読みどころとしては、「猿の手」をありきたりな怪奇小説としてではなく、もっと深く読み解く火村(=作者)の解釈によって、この怪奇短編が全く別の物語として捉えられる面白さがあるでしょう。そしてその解釈に基づいて、おさまるべき結末におさまっているという意味では、本書は高く評価できるかもしれません。