帚木蓬生 『閉鎖病棟』

閉鎖病棟 (新潮文庫)
 傷病恩給を貰えないことを恨んで死んだ父親を裏切った母を許せなかった秀丸。知能の発達と聴覚に問題を抱えて生まれ、周囲から理解を得られずに孤独の中で放火をしてしまった昭八。彼らと同じ病院にいるチュウさんも含め、それぞれに事情を抱えて家にいることが出来なくなり、精神科病棟で長い年月を過ごす患者達。外の世界では根強い偏見で生き難い彼らですが、病院の中では意外なほどに伸びやかな人生を送っています。ですが、不登校でこの病院の外来に通う女子中学生の島崎さんも一緒だった穏やかな日常は、ある日突然崩壊を始めます。

 「精神病」の名の下に、差別と偏見に満ちた戦後から現在まで、社会から隔離されるために病院へ押し込められた患者たちは、その境遇の中で不思議なほどに、実に穏やかで心優しい一人の人間です。彼らが差別的な扱いを受けるのが当然のようだった時代における悲劇をも描いているにも関わらず、本作に登場する「患者」たちは、「外の世界」に生きる自由な人々よりも遥かに純粋で伸びやかであり、また人としての大切なものを失っていません。
 終始一貫して淡々とした筆致で描かれる作品世界は、それがひとつの暴力によって崩壊してもなお穏やかなままであり、人間の弱さを描きながらも同時にそのしなやかな側面をも見せてくれているものと言えるでしょう。
 おそらくは作品の外の現実世界においても、彼ら「患者」を取り巻く社会環境は、良くも悪くも大きく変わったはずですが、本作においてはそれは実に象徴的に描かれます。
 プロローグの少女のエピソードの後に描かれる、後に病棟での生活をする登場人物たちの過去は、彼らを理解し受け入れる社会の素地が皆無であり、社会の中で生きる一人の人間としての行き場のなくなった彼らは「患者」というレッテルを貼られて世間から隔離されます。
 そして勿論、物語の結末部においても、彼らは社会に理解して受け入れられているわけではありません。昭八は、彼の甥の存在がなければ生涯を病院で終えたでしょうし、チュウさんの妹夫婦は最後まで彼が病院から出ることを良しとしません。
 ですが、彼らと一番深く関わってきた病院の医師や看護師の後押し、そしてつらい出来事を乗り越えた少女の存在が、過酷な物語の結末が救いとなることを予感させます。
 悲劇を悲劇的に描くだけではなく、そこにいる人間を日々の生活の中に喜びを見い出す人間として描いたことで、本作は穏やかに何かを訴えかける作品となっているのでしょう。