恩田陸 『訪問者』

訪問者
 不慮の死を遂げた映画監督、峠昌彦。昌彦の母親の友人で実業家、朝霞千沙子が溺死した湖を臨む朝霞家の別荘にやってきた井上に、千沙子の兄弟たちは「君は、訪問者かね?」という、問いを発します。朝霞千沙子の兄弟のもとに届いたという、『もうすぐ訪問者がやって来る。訪問者に気を付けろ』という手紙の指す「訪問者」は何者なのか。峠昌彦の遺言の相手は誰なのか。昌彦や千沙子の死は、本当に事故死だったのか。そして、次々に訪れる「訪問者」と、一人の男の死のさなか、別荘は崖崩れによって外界から孤立してしまいます。

 恩田陸らしい何か含みの感じられる、意味深さを持つ登場人物たちの会話を中心にして、本作は謎の展開が行なわれます。突飛な捻りのない、不思議な穏やかさを持ったクローズド・サークルものということでは、本作は『木曜組曲』の雰囲気にも通じるところがあるような気もします。
 意味ありげな「事故死」、それを語る老人達と、聞き出そうとする井上。長く朝霞家に勤めている聡い家政婦、昌彦の遠縁のようなものだという少女。彼らが集い、そして峠昌彦の遺言を実行するために語られる過去、ドアの呼び鈴とともに思わぬ「訪問者」が現れるごとに、物語は不可解性を深めていきます。
 この辺りのストーリーテリングといい、登場人物たちのあちこちに微かに見え隠れする毒といい、本作は実に恩田陸らしい手馴れた上手さを感じられる作品であると言えるでしょう。
 ですが反面、良くも悪くも「恩田陸らしさ」のセオリーに則った作品であるがために、読み慣れた読者には安心して読める一定の質は保証される代わりに、インパクトに薄いという面も否定できません。特に結末で見えてくる登場人物の毒が意外にあっさりとした印象であること、また、結末に近付くに従い、積み重ねられる謎とそれをひっくり返す際のインパクトが何故か弱いということが言えるかもしれません。
 ですが、死んだ映画監督の書いた遺作となった『象を撫でる』という映画もまた、謎解きの手掛かりとなります。これを象徴とし、「群盲象を撫でる」ということわざが見事にピタリとはまる物語の着地点とへ繋げる道筋の付け方の上手さは、些かも損なわれることのない見事なものと言えるでしょう。