フランク・シェッツィング 『黒のトイフェル 上/下』

黒のトイフェル 上 (ハヤカワ文庫 NV シ 25-4)黒のトイフェル 下 (ハヤカワ文庫 NV シ 25-5)
 印象的な赤毛から「狐」と呼ばれるコソ泥のヤコプは、彼が住むケルンの大聖堂の建築監督ゲーアハルト・モラートが、悪魔のような黒い影によって聖堂の足場から突き落とされる殺人の場面を目撃してしまいます。そして、そのことを告げた友人たちが殺され、殺し屋に狙われることになったヤコプは、彼を助けてくれたリヒモディスに連れられ、彼女の伯父で教会首席司祭をつとめるヤスパーに引き合わされます。ヤスパーの知恵を借り、ヤコプはゲーアハルトを殺し、その秘密を知る自分たちを狙う相手に迫ります。

 中世のドイツ、ケルンを舞台にしたサスペンスであり、著者のデビュー作でもある一作。
 神の存在、そしてそれに対するアンチテーゼとしての「悪魔」とは何なのかという、神学論争めいた思想をも根幹におき、さらには中世ドイツの教会ー貴族ー手工業者らの生臭い権力闘争の構図を張り巡らしながらも、狐のヤコプという世界の構成員としては底辺に位置する人物を主人公とすることで、サスペンス色の強いエンターテインメントに仕上げています。
 『深海のyrr』でもあったように、本作においても著者は、「大義」を振りかざし、権力によって自らの蛮行を正当化し、人間としてあるべき義を歪めることへの痛烈な批判を作中に示します。それと同時に、否応もなくこの権力闘争の余波を食らうことになったヤコプ自身は、自己の存在を突き詰めて考え、結末部においては苦さを残しながらも大きく一歩成長する姿が描かれることになります。
 物語が佳境に入るまでの展開には、若干の遅さは感じないでもありませんが、魅力的な登場人物と、史実に基づく生々しくも身勝手な権力闘争や人間の弱さとそこから一歩を踏み出す勇気を描いた意欲作と言えるでしょう。