深水黎一郎 『五声のリチェルカーレ』


 大人しく昆虫好きな中学生の少年が、ナイフでクラスメイト2人を刺すという事件が起こります。この少年犯罪を担当する家裁調査官の森本は何とか少年の心を探ろうとしますが、動機について少年は、「生きていたから殺した」のだとしか答えません。この言葉が意味するものは一体何なのか。悪質な苛めを受けた少年の過去、そして転校した新しい学校で、何とか上手くやろうと気を使う少年の毎日。昆虫の「擬態」に並々ならぬ興味を抱く少年の動機の真相は何か。
 表題作の他に、人を操ることに長けた少年の物語である、短編『シンリガクの実験』も収録。

 本作は、家裁調査官の森本が犯人である少年との接見から、何が少年を犯行に駆り立てたのかを明確にしようとするパートと、苛められて悲惨な毎日を送っていた過去を、そして転校後に得た新たな環境での必死のやり直しを回想する少年とのパートが交互に繰り返されることで、物語が展開されます。
 昆虫の擬態と生存競争に重ね合わされる少年の動機は、「五声のリチェルカーレ」の概念を足がかりにして、森本の中で謎が認識レベルに解明されます。この構造の組み合わせが見せる技巧のレベルは、非常に高度なものであると言えるでしょう。少年サイドから描かれる「擬態の失敗」が、「人が殺されても仕方がない理由」になり得るという論理、そして読者に近い立ち位置にいる森本の視点で、「五声のリチェルカーレ」という概念をツールとして、事件の根底にあった真実の姿を浮き彫りにするという著者の仕掛けは、実に綺麗に機能する結果となっています。
 また、物語全体を通じて読者に対して仕掛けられたもうひとつの大きな仕掛けに関して言えば、それ自体はある程度読み慣れた読者であれば、かなり序盤で察しがついてしまう可能性が高いのは事実でしょう。それでも、読者に対する完全に公正かつ丁寧な伏線と書き込みは、著者の作風において美点であることは間違いありませんし、物語の構造の美しさ、技巧の難易度の高さが、本作を実に端正なミステリたらしめていることに間違いはないでしょう。
 そしてナイーブさゆえに危うさを併せ持つ少年によって引き起こされた事件は、物語の終盤になるまでは「何が起こったのか」が、ほとんど語られることはありません。本作は、読者に対しては、「事件」そのものがどういったものであったのか、被害者と犯人の関係、経緯その全てが「謎」として構成され、最後に綺麗に提示されるといった物語でもあると言えるでしょう。