京極夏彦 『死ねばいいのに』

死ねばいいのに
 派遣で働くアサミの死。そして、彼女に関わった者の前に、「アサミのことを教えてほしい」と、ケンヤと名乗る青年が現れます。アサミの派遣先の不倫相手、マンションでのアサミの隣人、借金のカタにアサミを買ったやくざの男、アサミをやくざに売った母親、そして事件の担当刑事。神経を逆なでするようなケンヤの態度に憤りながらも、次第にアサミとの関わりを通じて自身の人生の不遇さを吐露する彼らに対して投げかけられる、「死ねばいいのに」というケンヤの台詞。

 「俺、頭悪いし」と言いながら、職も学歴も礼儀も覇気もない、ある意味では社会の最底辺に近いところにいながら、それを何とも思わないケンヤのキャラクターは、今時の若者のネガティブな側面だけを抽出することで、人間としては破綻した性格付けをされているのかもしれません。
 そして、そんなケンヤの態度に不快感を覚えながらも、アサミとの関わりを想起して語りだす関係者たちに、不意に投げかけられる「それ、おかしくないっすか」というケンヤの問いかけから、その物語は語り手の欺瞞と醜さを暴きだすものへと変質していきます。
 そして本作では、関係者たちとケンヤの会見が積み重ねられるにつれ、アサミという女性の不幸さが浮き彫りになるかに見えますが、それすらも最終章では否定されるという部分で、著者の仕掛けの巧みさを見て取ることが出来るでしょう。
 作品全体に漂うのは、『厭な小説』に通じるもののある、人間の醜さを浮き彫りすることに特化した厭な空気感ですが、次々に自身とアサミとの間を語る登場人物の誰一人として、ケンヤの求める「アサミのこと」という問いに答えられず、自身の卑小さを曝け出してしまう様を指摘する「死ねばいいのに」という決め台詞には、奇妙な痛快さすら感じられます。
 怪作というに相応しい1冊。