湊かなえ 『告白』

告白 (双葉文庫) (双葉文庫 み 21-1)

 幼い娘を亡くした女教師が、娘が死んだのは「事故」ではなく「このクラスの生徒によって殺された」のだとして、担任をしているクラスでのホームルームの時間に告発を行います。二人の犯人を実名での名指しはしなくても、彼らを知るクラスメイトが聞けばすぐに誰であるのかを特定できる告発をして、さらに犯人たちに対しては容赦のない復讐をすると、女教師は学校を去ります。ですがその後、残された生徒たちの間で、事件は思いも寄らない広がりを見せはじめます。

 女教師から始まる語り手の視点は、章ごとに犯人の級友、犯人の家族、そして犯人自身へと視点を変えて語られます。そうして視点を変えることによって、最後の結末に向かって幾人もの人間の破滅とともに、登場人物それぞれの醜く卑小な側面が浮き彫りにされることになります。
 わが子を殺された女教師の仕掛けた衝撃的な告発と復讐は、やがてクラスにいじめを誘発し、さらにはクラスで起こっていることを理解できない教師や、真相を知りながらも被害者の遺族である女教師に恨みを抱く犯人の家族を巻き込んで、何人もの人間を破滅させていきます。
 章ごとで視点を変えるというこの手法は、「前の視点=実は語り手の自分本位な視点によって語られていた、その人物にとっての真実」の欺瞞を容赦なく暴きだすという効果をもたらし、ひとつの視点では得られない多面的な真相を読者に与えてくれるものとなっていると言えるでしょう。
 そして、最終章で再び女教師が登場したことで、一連の悲劇の構造はより一層明確な真実を表すことになります。また、自己中心的なフィルターを介してであろうとも、終始一貫して淡々とした視点による語りはリーダビリティの高さも備えており、次々に明らかになる一連の出来事の真相に引き込まれるに十分な面白さを持っているといえるでしょう。その中でも最初から最後までブレることのない、女教師の冷徹な視点によってもたらされる破滅は、必ずしも読後感の良さを感じさせるものではないでしょうが、読者に与えるインパクトの大きな結末となっています。
 ただ、本作の映画化に当たっては、一人一人の「告白」の連鎖が多面的な真相を暴き出し、そして起こる破滅の連鎖という物語の構造が、映画という媒体に向いているかどうかには疑問も残ります。