伊坂幸太郎 『マリアビートル』

マリアビートル
 裏の世界で怖れられている男の依頼で、彼の息子と黒いトランクを運ぶことを命じられた腕利きのコンビ蜜柑と檸檬。アル中の元殺し屋で、息子を酷い目に合わせた中学生に復讐を企てる木村。悪意に満ちた狡猾な中学生の王子。そしてトランクを強奪することを依頼された、運の悪い殺し屋の七尾。盛岡に向かう東北新幹線の車中を舞台に、各々が請け負った依頼遂行と、それを攪乱する思惑が入り乱れます。

 『グラスホッパー』のシリーズ作品。本作においても登場するのは、報酬のために人殺しも厭わない殺し屋たちであり、メイン級で出てくる登場人物たちは誰もが善良とは言い難い人物ばかり。にも関わらず、約一名を除いては誰もが憎めない個性を発揮しており、彼らの物語の舞台からの降板には寂しさすら覚えてしまいます。
 東北新幹線の車中を舞台に、停車駅というリミットを設けられた閉鎖空間での出し抜きあいは、個性的な登場人物たちによるユーモアにとんだ軽妙な語り口により展開されつつも、中だるみすることのない緊迫感を終始保っていると言えるでしょう。
 そして、悪意の結晶とでも言うべき存在である中学生の王子は、この群雄割拠状態の車内で起こっている事柄を、さらに混沌とさせます。と同時に、王子により侮蔑をもって発せられる「なぜ人を殺してはいけないのか」という問いは、それに答える登場人物たちの、それぞれの存在の根幹そのものまでも描き出すがジェットとして機能することになります。
 それは、抗し難い理不尽をもたらす、純粋な「悪」としての王子の存在によって、単なるエンタメ小説の枠組みを超えて登場人物の造詣が掘り下げられ、さらには作者のメッセージを強烈に際立たせるものとなっているということでもあるでしょう。
 同時に本作は、こうしたある種哲学的な問題を突きつけつつも、様々な「回答」を出し尽くした上で、エンタメ小説としての痛快さが全てを圧倒してしまう、伊坂作品の面白さが十二分に発揮された作品でもあります。