伊藤計劃 『ハーモニー』

ハーモニー (ハヤカワ文庫JA)

 人類を襲った<大災禍>を経た後、人々は医療ネットワークにつながれ、自らの肉体や社会を損なうものを極力排除した調和社会へと到達します。ですが13年前、大人になる前に自死を遂げることで、このユートピア社会に対するテロリズムを遂行しようとした3人の少女がいました。実際に死んだのはこの計画を持ちかけたミァハ一人だったものの、生き残ってしまった一人のトァンは、WHOで螺旋監察官という職に就きながら、ミァハのものであった虚無にとり憑かれたような生き方を密かにし続けます。そんなトァンがもう一人の生き残りであるキァンと食事をしていたその瞬間、目の前のキァンを含めて6500人を超える人々が、同時刻に自殺を試みるという事件が起こります。

 個である「わたし」と秩序と調和を重んじる共同体との関係、そこで導き出される極限のユートピア。そして、過ぎたユートピアの行きつく先がディストピアであり、その中で個である「わたし」という主体が、「自分とは」そして「意識とは何か」ということを問いかける作品。
 思春期の少女特有ともいえる、自意識の極地を具現した時点で時を止めたミァハと、ミァハの強烈な引力とでも言うべきものに捕らわれながらも「共同体」に属すことを選択したキァン、そしてミァハの影に捕らわれて自身の生に矛盾を感じるトァンという三人の少女を軸に物語世界が構築される本作は、自身の属する世界に迷い続けるトァン主人公とすることで、自我と調和社会との境界線を描いているとも言えるでしょう。
 生と死、極限のユートピアの中での個の尊厳、それら対立するものの姿が描かれる本作は、終始して空虚で静謐な空気を持ち、極限まで選びぬかれた言葉と文章で綴られます。
 『虐殺器官』そして『ハーモニー』の先にある何かを見ていた著者の、視線の先は何だったのか、それがこの先語られることがないのが何とも残念でなりません。