ジョン・ディクスン・カー 『火刑法廷 [新訳版]』

火刑法廷[新訳版] (ハヤカワ・ミステリ文庫)

 編集者のエドワードは、実際に起こった殺人事件の実録裁判をもとに小説化された、人気作家のゴーダン・クロスの原稿に添えられた、毒殺魔のブランヴィリエ侯爵夫人マリー・ドプレーの写真が、妻のマリーに瓜二つであることに衝撃を受けます。そんな中でエドワードは、古い付き合いのあるマーク・デスパードから、彼の伯父の死に不可思議な疑惑があることを聞かされます。マークが言うには、家政婦が、伯父のマイルズの部屋に、絵画に描かれたブランヴィリエ侯爵夫人の衣装のような古風な服を着た怪しげな女が居るのを、家政婦が窓から見たのだと言い、さらには、病死だと思われていた伯父の死が、毒殺であったかも知れないと告げてきます。マークはエドワード、そして元医師のパーティントンの手を借りて、マイルズの墓の遺体を調べようとしますが、開けてみた棺は空っぽでした。

 旧版では既読。
 カーの代名詞である「怪奇趣味」「オカルト」などといった要素は本作でも重要な役割を果たしてはいますが、そうしたものが過剰に装飾的になり過ぎず、物語の中に上手く溶け込んでいると言えるでしょう。
 エドワードの妻のマリーと歴史上実在の毒殺魔のブランヴィリエ侯爵夫人マリー・ドブレーが同一人物ではないかという、エドワード自身があり得ないと思いつつも疑惑を深めざるを得ない証拠が重ねられていく過程は、同時に読者が本作を怪奇小説と読むか、ミステリ小説と読むかで揺れる過程ともなるでしょう。ですが、こうした怪奇幻想テイストが最も生かされるのは、エピローグ部分においてのサプライズの使い方にあると言えるかもしれません。オカルティックな出来事が、終盤の謎解き部分で綺麗に現実的な解釈を得て、それが物語世界の根底から最後に再びひっくり返る様は、本作がまさに古典名作と呼ばれるに相応しい一因でしょう。
 また、本作はフェル博士やHM卿といった探偵シリーズではなかったがゆえに成立した物語であるとも言えます。本作では謎を解き明かす魅力的な個性を持った人物はいるものの、名探偵役として確立された登場人物が存在することによって、最初から謎が現実レベルでの解体をされることを予期された作品とは明らかに違うものになっています。現実に物語を引き戻す確固たる探偵が不在であることで、物語の視点さえ、怪奇小説的世界とミステリ小説的な現実世界との間で揺れ動き、読者もまた作品を怪奇小説ともミステリ小説とも読むことが、スムーズになっていると言えるのかもしれません。
 また本書は、新訳版となったことで、ある種海外ドラマを見ているような感じを受けるほど格段に読みやすくなっています。