パトリック・クェンティン 『迷走パズル』

迷走パズル (創元推理文庫)

 妻を亡くして酒浸りになった演劇プロデューサーのダルースは、アルコール依存から抜け出すために高名な精神科医が開設した療養所に入院し、そろそろ退院へ向けてのリハビリ段階に差し掛かります。ですが、浅い眠りの中でダルースは、「今すぐ逃げろ、殺人が起こる」という声を夢うつつに聞きます。この話を聞き、療養所で何かが起こっていることを感じていた所長のレンツは、ダルースに調査を持ちかけます。そんな中で、屈強な肉体を持つスタッフの一人が不可解な方法で殺害されたのをダルースは発見してしまいます。男性患者を虜にしていて、資産家の患者が結婚相手にとまで思う美貌の看護婦、同じ患者の一人に恨みを持ち殺意を煽るような「声」に悩まされる女性患者、窃盗癖のある患者、霊媒として不吉な予言をする患者など、それぞれ怪しげな事情を抱えた患者やスタッフの誰が犯人なのか。

 1936年に描かれた作品ではあるものの、訳が新しいこともあり、全く古臭さを感じない良質なミステリ作品。
 入院患者たちが聞く、自身の狂気によるものであるかのような「声」などの不可解な現象は、精神に問題を抱えた患者たちが集う療養所という舞台ならではの状況設定が生かされたものであり、それらが現実なのか狂気ゆえなのか、あるいは語り手たる主人公すら本当に正気なのかと疑わせる、実に魅力的なシチュエーションを創出していると言えるでしょう。
 そして、どこかユーモラスな筆致で描かれる個性的な入院患者やスタッフたちは、事件の中で意味ありげで怪しげな振る舞いをして、主人公のダルースとその視線を通した読者をうまい具合に撹乱してくれます。
 正気と狂気の境目を疑わせることで読者を惑わせ、また不可解な状況の演出やいかにも怪しい登場人物たちの存在、そして終盤での犯人との対決において用いられるどんでん返しの鮮やかさと意外な犯人という、本格ミステリらしさが随所に散りばめられた一作。