ジョー・ヒル 『ホーンズ 角』

ホーンズ 角 (小学館文庫)
 1年前に高校時代からの恋人のメリンを殺され、挙句に犯人としていまだに疑われ続けるイグは、家族からも離れて失意の日々を送っています。そんなイグが、酔って眠り込んだ翌日の朝、目が覚めたら自分の額に角のようなものが出来ているのを発見します。そして角が現れたイグと面と向かって顔を合わせた人間は、本来であれば決して表に出さないような歪んだ欲望や秘密を口にし始めるようになります。この不思議な力によりイグは、身近だった人たちが自分に対して抱いている悪意を目の当たりにし、深い絶望を感じます。ですが、恋人のメリンを欲望のままに殺したある人物の裏切りを知り、イグは事件の真相を知り、犯人への復讐をすることを決意します。

 スティーブン・キングの息子である著者が描くモダンホラー作品。
 カフカの『変身』のような冒頭の始まりで幕を開ける物語は、「地獄」と題された第一部では恋人のメリンを失った打撃から立ち直れていないイグに、角が生えた彼の能力によって引き出された身近な人たちが秘める悪意が襲いかかります。本来なら知るはずもない、おぞましい欲望と悪意を露わにする人々に、イグは益々打ちのめされることになりますが、さらにメリンが殺された事件の真相によって、深い絶望と怒りに囚われることとなります。
 本作はある意味でこの導入部の第一部だけでも、人々の悪意と醜い欲望が突然に発露する邪悪さで、中編のモダン・ホラーとして読み応えのある作品として確立していると言えるでしょう。悪魔のような容貌に変化したイグによって、ごく普通の隣人たちが秘めている欲望とその真の姿を次々に暴く不条理なホラーという方向性の物語であっても、本作の主人公のイグはある種の悩めるダーク・ヒーロー足り得るキャラクターであったかもしれません。
 それが第二部ではイグとメリンの出会いから、恋の成就、そして親友だと思っている男との間に生まれる破滅の予感が描かれることとなります。
 そして、この第二部を受けて描かれるのが、事件当日のイグとメリンの諍いがもたらした悲劇と、犯人への復讐のために変貌していくイグの姿となります。相対する人間から醜い欲望を引き出してしまう能力と、それに相応しい悪魔のような姿を持ちながらも、あくまでも一人の善良な青年であり続けたイグが、最初にラインを越えたのは、間違いなく第一部のラストにおいてでしょう。しかしながら、意識的に変貌を遂げる第三部において、イグは人間としての自分と決別をせざるを得なくなります。それと同時に、神秘体験とも思えるメリンとの美しい思い出が結末部に挿入されることで、イグの変貌の必然性が一層強くなっているとも言えるのかもしれません。
 続く第四部では、第一部から敵であることは明確でありつつも、これまでは断片的にしか見えていなかった、メリンを殺害する犯人であり、イグを裏切っていた男の心の動きが、ややセンチメンタルさをも伴って描かれることとなります。本作において、この犯人の男の存在は終始「絶対的な悪」として位置づけられます。話が進むにつれて人間から遠ざかるイグは、その行動や能力をふるう様子の異質さとは対照的に、根本の部分では変わらず恋人をひたすら愛する善良な若者です。ですが、それに対して犯人の男は人間社会に身を置きながらも、物語が進むにつれてその悪魔的な本性を明らかにしていくこととなります。
 第一部の、イグの能力により人間の悪の部分が暴かれるという導入で読者をひきつけ、第二部から第四部で事件が起こる必然性とともに、最終部でイグと犯人とが決着をつけなければならない素地をしっかり描いた上で、第五部に当たる「ミックとキースによる福音書」において、二人の対決が導かれることになります。
 ですが、本作のこの一見複雑な構成の秀逸さは、第一部から第五部の流れを受けた上で、最後の結末には、恋人のメリンによる救済が提示されることでしょう。
 全ての悪が昇華されるような結末は、それまでの物語の悲惨さを洗い流し、綺麗なラストを演出することになります。
 やや、それこそスティーブン・キングが得意とするようなキリスト教的な意味を持たせて「悪」を描くことが類型的であったり、犯人の男をさらに魅力的な「悪」として描けたのではないかという可能性も皆無ではありませんが、設定の面白さと構成の巧さ、さらには人間の持つマイナス面の魅力的な描き方などで、本作が読者を惹き付ける作品に仕上がっていることは事実でしょう。
 700頁超の大作ですが、それを一気に読ませるストーリーテリングの巧さもまた、本作においては特筆すべき点と言えるでしょう。