チェルシー・ケイン 『昏い季節』*1

昏い季節 (ヴィレッジブックス)
 降り続く豪雨で厳戒態勢が敷かれる中、奇妙な死体が発見されます。検死の結果、この死体の手に小さな点のような傷を発見し、死因が毒殺であることが判明します。さらに同様の特徴を持つ死体が続けざまに発見される中、刑事であるアーチー・シェリダンの同僚のヘンリーも同じ毒をもって襲われ、生死を彷徨うこととなります。そして、ヘンリーを助ける傍らで洪水の中救助した少年が病院から姿を消し、少年と毒殺犯との間に何らかのつながりがある疑いが浮上します。アーチーは、少し前に発見された遺骨が、60年前の洪水と関係があるのではないかという仮説に基づいて取材を続けるジャーナリストのスーザンと共に事件を追うことになります。

 圧倒的な存在感を誇る美貌の連続殺人鬼、グレッチェン・ローウェルと、アーチー・シェリダン刑事との物語である、「ビューティ・キラー」シリーズの番外編。本作はシリーズの第1期と第2期との間に位置する物語であり、グレッチェンが登場することのない事件となります。
 当初は溺死だとばかり思われた遺体が、実は巧妙に特殊な毒によって殺されたものであった。公園で発見された骨と60年前の洪水。生死の境を一進一退するアーチーの同僚のヘンリー。そして、事件に関わりがある少年が行方をくらます背景。
 ――これらの些か盛り沢山過ぎる要素が複雑に絡まる物語は、さらにスーザン自身のジャーナリストとしての苦悩や、グレッチェンとの戦いでの傷から立ち直り始めたアーチーの姿と共に、番外編とは言いつつもシリーズの中での重要なターニングポイントとして描かれることになります。
 これまでに3冊出ているシリーズ本編では、底知れぬ魅力を備えたグレッチェンという連続殺人鬼と、彼女に人生を破壊し尽くされたアーチーとの駆け引きが描かれてきました。その3冊の物語を経た上で描かれた本作では、他の全ての要素をかすませてしまうほどの圧倒的な存在感を持つグレッチェンが、ほぼ不在の物語となります。それゆえに本作は、これまでは物語において主要な立ち位置にあったにもかかわらず、インパクトを十分に与えきれていなかった登場人物たちの掘り下げを可能としている一作とも言えるでしょう。
 物語のラストにおいて、シリーズの今後を暗示して再び姿を現したグレッチェンの凄まじい存在感はやはり圧倒的であるとはいえ、本作を経たことで、アーチーとスーザン、そして脇を固める登場人物に厚みを与えることが出来たことは、今後の展開においても大きいはずです。
 また、本作そのものを単独で評価した際にも、60年前の洪水の時に起こった出来事と現在進行形の物語とのリンクも上手く機能しており、犯人の残虐さや異常性もじわじわと作品の中で効いてくるものとなっています。
 ただし、本作の犯人が用いる殺害手段の特殊さは、描かれる犯罪の独自性の強さの反面、その手間をかけるだけのリアリティという意味では、微妙な箇所も皆無ではありません。ですが、その異様さがまた犯人の逸脱した心理を想起させるという意味では、必ずしもマイナス要素とも言い切れないでしょう。