ジョン・スコルジー 『アンドロイドの夢の羊』

アンドロイドの夢の羊 (ハヤカワ文庫SF)
 地球とニドゥ族との交渉の席上で、戦争の引き金になり得る事件が引き起こされます。ニドゥ族は代償に彼らの統治者の即位式の儀式に使うという、「アンドロイドの夢」という名の特殊な羊を要求してきます。国務省に勤める元兵士のクリークは、友人のベンからの依頼でこの任務に当たりますが、何者かが先回りしてことごとく「アンドロイドの夢」を処分してしまっています。クリークは、人間の脳をモデル化することで究極の人工知能となった「ブライアン」によって、ようやくその「羊」のDNAを持つものを見つけ出しますが、それはクリークが思いもよらないものでした。

 タイトルからは、フィリップ・K・ディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』を想起させられますが、内容とはさほど関わりもなく、物語に登場する羊の「そのものずばり」なネーミングと、序盤での以下の会話で仄めかされるにとどまります。

「アンドロイドの夢」と呼ばれる品種だ」ナーフ=ウィン=ゲタグが言った。
「変わった名前ですね」ヘファーはタブレット端末を返した。
「なにか文学的な意味合いがあるらしい」

『アンドロイドの夢の羊』p58

 物語は、性質の悪いエイリアンとの戦争を回避するために、1週間で「アンドロイドの夢」という種の羊を探さなければならなくなった男が、思いもよらない展開で困難な逃避行を繰り広げるというもの。
 とはいえ、その発端となる事件はあまりにも下らない方法で引き起こされるあたり、どこか皮肉を含んだユーモアが作品の根底にあって、単なる陰謀−アクション活劇というパラダイムにはおさまらない部分もあるかもしれません。
 本作は、複数の思惑により人類がエイリアンとの戦争という危機的状況に追い込まれているのを、天才ハッカーの手でぶっちぎりの進化を遂げた人工知能を使って情報戦を繰り広げつつ、女性と共に危機一髪の連続で逃走劇を繰り広げる――という、ある種テンプレート的なSF活劇であると言えます。ですが、そこで個性的な登場人物たちによって繰り広げられる軽妙なやりとりと起伏に富んだ展開で、古典的な枠組みが極上のエンターテインメントとして再生された物語として、本作は純粋な娯楽作品としての魅力に富んでいると言えるでしょう。
 そして、予想外の「羊」の正体の意外性や、力技としか言えないような結末の爽快さも、SFという単一ジャンルとしての面白さだけにとどまらず、広く映像的な面白さを備えた作品となる要因を満たしています。スパイ・謀略もの、スペースオペラサイバーパンクなど、様々な要素を盛り込んだ娯楽作品として広く楽しまれる一作。