畠中恵 『ゆんでめて』

ゆんでめて (新潮文庫)

 「しゃばけ」シリーズ第9作。
 兄のところに子どもが生まれたという報せを受けた長崎屋の若旦那の一太郎ですが、出掛ける途中で縁あって知る神に似たものを見かけ、ついついその後を追ってしまいます。そのことで、長崎屋で起こった火事の際に屋敷に住む妖である屏風のぞきが焼けてしまい、一太郎は何とか屏風のぞきを助けようと屏風を修理に出します。ですが、修理に出した先で屏風が行方不明になってしまい、一太郎は藁にもすがる思いで「当たる」という噂の「事触れ」と呼ばれる占じものをする人物を訪ねることにします。

 「それがなければ行くことのなかった道」を行ってしまったがため、起こってしまったことを後悔する若旦那の物語。全ての原因の導入部、四年後、三年後、二年後、一年後…そして全ての根である最初の時間と、変則的な物語の構成は序盤ではやや分かり辛い気もします。ですが本作は、この構成だからこそ描ける物語となっているのは事実でしょう。
 四年後の、行方不明になった屏風のぞきを探す物語。その一年前であり、全ての原因となった日から三年後の、友人の七之助の婚約者が上方からやってくる際に、婚約者の"千里"が五人の女性のうちの誰なのかを探り当てる物語。さらにその一年前、生目神と再び出会った花見の席。そしてその一年前で、火事から一年後の大雨の江戸で出会った不思議な女性と彼女の持つ珠の物語。そして、「始まりの日」の物語。
 何故そうなってしまったのか、どこで狂ってしまったのかの「起点」となる時間を軸にして物語を構成するやり方は、ある種クリスティの『ゼロ時間へ』において描かれる「ゼロ時間」という考え方に通じるものがあるようにも思います。
 そして、その「始まりの日」(=ゼロ時間)へ向けて物語を再び収束させていく構成が、あるべき未来とあるはずだった未来、そして「真っ白な未来」を最後に演出することで、「失われた物語」の残滓が何とも言えない読後感を生み出していると言えるでしょう。