畠中恵 『やなりいなり』

やなりいなり (新潮文庫)
 何故か近頃、近所でやたらに恋にまつわるあれこれが起こり、さらには長崎屋の若旦那の一太郎のもとに疫神やら流行病の神やらが姿を見せるようになります。この事態の解決を疫神たちに若旦那は頼まれてしまいますが…(『こいしくて』)。長崎屋の若旦那の母親の守狐たちがつくった稲荷寿司を食べに現れたのは、記憶喪失の幽霊でした(『やなりいなり』)。長崎屋の店主である藤兵衛が行方不明になり、心配した若旦那は父親を捜しに行こうとしますが、病弱なことを理由に兄やたちはそれを許しません。仕方なしに長崎屋に留まって妖たちとともに父である藤兵衛に何が起こったのかを推し量ることをはじめます(『からかみなり』)。ある日長崎屋に落ちてきた青い玉を追いかけて、空から百魅という妖が下りてきます。百魅は三十魅という兄弟魔と盛大に喧嘩をして地上に降りることになったらしく、長崎屋に若旦那と暮らす鳴家たちが玉を見つけられなければ、長崎屋に居候すると言い張ります(『長崎屋のたまご』)。病弱なことを心配されて中々外出もままならない長崎屋の若旦那の一太郎が、ようやく菓子職人として修業をしている幼馴染の栄吉のところへ出かけることが許されます。ですが栄吉は、奉公先の仕事が忙しくゆっくりと話をする事も出来なくて…(『あましょう』)。

 しゃばけシリーズの10冊目。
 良くも悪くも安定したクオリティの全5編は、それぞれの作品に登場する料理をモチーフに、各編の冒頭にその料理法が作品世界のユーモラスさの中で紹介される構成となっています。
 ただ、各編のクオリティそのものは前述したとおり安定していて特に瑕疵のあるものではないのですが、それぞれの作品に取り上げられる食べ物が、作品そのものに深く関わっているかと言われれば、必ずしもそうではない辺りはやや消化不良な感じも皆無ではありません。
 各作品そのものについて言えば、妖たちの賑やかな騒動と、絶妙な加減で織り込まれるせつなさはさすがの安定っぷりと言えますが、この安定感には"良くも悪くも"という側面があり、前作・前々作辺りでの強烈な印象と比べてしまうと、些かインパクト的には「可もなく不可もなく」と感じられてしまう部分もあるかもしれません。もっともそれは、あくまでもこれまでの作品の質が高過ぎるがゆえの比較の問題であって、特に本書でも最終話の『あましょう』などでは、人一倍限りある人間の命の儚さを知る若旦那と栄吉の友情の強さと切なさが、深い余韻を残してくれるものとなっています。
 ある意味では、シリーズの安定の上だからこその、激動というほどの大きな事件ではなく、ほっと一息をつく一冊と言えるかもしれません。