古野まほろ 『群衆リドル Yの悲劇'93』

群衆リドル Yの悲劇’93 (光文社文庫)
 山奥にある夢路邸に招待された渡辺夕佳は、心を寄せる先輩で、天才ピアニストである八重洲家康とともにその館へと向かいます。ですが、夕佳ら集められたゲストたちに対して突き付けられたのは、彼らの過去への断罪と殺人予告でした。雪に閉ざされ、吊り橋を落とされて夢路邸に閉じ込められたゲストたちは、「ロンドン橋落ちた」の童謡に見立てられて次々に殺害されていきます。
 「イエユカ」シリーズ第1作。シリーズ2作目にあたる『絶海ジェイル Kの悲劇'94』を先に読んでいたので、こちらは慌てて購入。
 雪に閉ざされた山荘でのクローズド・サークル、マザーグースの童謡の見立て殺人、密室、読者への挑戦状という、あらゆる状況がベタベタでありながらも、それが古臭いだけの過去の踏襲になっていないのは、少しだけレトロでファンタジックなパラレルワールドの日本という舞台が、思った以上に「探偵小説」の舞台として相応しいものになっているからなのかもしれません。
 冒頭に挿入される一幕があることで、集められたゲストたちを繋ぐミッシングリンクの存在は割と最初から意識するものの、犯人による断罪の宣言と、その宣言通りに進められる見立て殺人というシチュエーションの舞台立ては、本格ミステリ・探偵小説といったものを好きであれば、確実に刺激されるツボでしょう。
 ベタベタの舞台立て、そしてペンダントリーに満ちた装飾的な世界観など、現代的な要素や解釈の末のアウトプットであるという独自の視点もあるものの、ある意味では『虚無への供物』の世界観の構築と通じるものもあるように感じます。
 また、本作ではイエ先輩のこの舞台立てで作り込まれた作品世界でなければリアリティなど持ち得ないほどの「天才音楽家」というキャラクター特性が、実に効果的な役割も果たしています。
 ただ若干、犯人がそこまでスムーズに犯行を遂行出来たことにはご都合主義的な側面も皆無ではありません。ですが厳密にリアリティだけを追求すれば、探偵小説はその魅力を失い、それこそ社会派ミステリの世界にとってかわられる他なくなるのでしょう。その意味で本作は、この作品・この世界観だからこそ成立するリアルを持っており、衒学的な修辞で彩られた魅力のある作品になってと言えるのかもしれません。
 終盤で明かされる犯人の悲痛な心情、法に則って犯人を裁く立場にないからこその夕佳と家康の行動も、この作品世界には不可欠なものと言えるでしょう。