北森鴻 『うさぎ幻化行』

うさぎ幻化行 (創元推理文庫)

 音響技術者であった義理の兄である圭一が飛行機事故で死んだという報せを受けたリツ子は、「うさぎへ」という呼びかけからはじまる義兄の遺書を見ることになります。幼いころから義兄に「うさぎ」という愛称で呼ばれていたリツ子ですが、知人から彼が遺した「日本の音風景百選」を辿ったファイルを貰ったことで、義兄が呼びかける「うさぎ」が自分の他にもいたことを感じ取ります。そして、音風景にはそれぞれ不可解なものが織り込まれていることに気付き、リツ子は義兄の遺した音風景を辿ることになります。

 本作品が単行本として出版された直後に、著者が急逝したというニュースが届き、以来何となく読むことが勿体なくてなかなか読めずにいた、実質的に遺作となってしまった*1一作。文庫化を機に、ようやく読了することが出来ました。
 作品は、亡くなった義兄の圭一が遺した音風景と、そこに込められた圭一の意図をひとつずつ探るという、著者お得意の連作短編集の形式をとっています。
 単にそこで録音しただけではなく、意図的な加工を加えられたらしいその音風景を解き明かすごとに、圭一の思いや、その音の周りで起こっていたことが明らかにされ、さらには二人の「うさぎ」が徐々に近づいていきます。こうした、連作短編ならではの、各話のそれぞれの謎解きと、物語全体の大きな流れが明らかになっていく様が同時進行する面白さが、本作にはあると言えるでしょう。
 しかしながら、各話それぞれの音の背景に対する説得力はあっても、物語を通して明らかになる、圭一とリツ子、そしてもう一人の「うさぎ」の心情や事情に関しては必ずしも分かり易いとは言い難い側面もあります。読者に解釈の余地を敢えて与えたオープンエンドの部分があるのかもしれませんが、結末については消化不良な感じも否めません。あるいは、「音」を巧みに使ったトリックや謎の解明の面白さと、結末の良くも悪くも消化不良な、このアンバランスさが味と言えば味なのかもしれません。
 どこか物悲しく、著者の作品の中でも独特の雰囲気を持った意欲作であることは事実なので、あるいはもしも著者が存命であったならば、文庫化の際には加筆修正を大幅にした改稿があったかもしれないと思わされる一作でした。

*1:本作の後にも、『暁英 贋作 鹿鳴館』『邪馬台』は出版されていますが、前者は「未完」のままの状態での刊行、後者はパートナーだった浅野里沙子氏が著者のノートや資料から推測して結末部を書き継ぐという共作という形なので、最後まで北森鴻自身が完成させた作品としては、あくまでも本作が最後のものとなっています。