三津田信三 『どこの家にも怖いものはいる』 

どこの家にも怖いものはいる
 ミステリ・ホラー作家の三津田信三が知り合った彼のファンでもある編集者の三間坂から託されたのは、奇妙な符号を見せる二つの怪談の記録でした。新築の家に引越して暫くして、不審な物音と壁の中にいる「何か」と話をする幼い娘の異変に不安を抱く母親の日記。村にある屋敷の開かずの間の怪異譚と、出会ったら逃げられないという恐ろしい「割れ女」という化け物の話を祖母から聞かされた少年が遭遇する恐怖の物語。時代も場所も異なると思われる、この二つの怪異譚には、気味の悪いつながりがあるように感じた三津田は、同じ思いを抱いた三間坂と、これらの物語のミッシングリンクを探ることになります。

 著者と同名の作家・三津田信三が語り手となる、いわゆる「作家三部作」と似た構造の作品でありながら、あちらとはまた違った位置付けにある作品。実際に刊行されている三津田信三の著作や執筆過程を織り交ぜ、現実を虚構の中に巧妙に織り込んでいることで、読んでいる側では現実と虚構との境目があやふやな、どこからが創作なのかが分からなくなるような錯覚を起こさせる怖さが、何とも著者らしい一作。作家三部作よりも、やや「こちら側」に近い場所でのホラー譚であると同時に、『のぞきめ』と同じ位相にある作品と言えるのかもしれません。
 作家・三津田信三の視点で描かれる導入部と幕間、そして結末の間には、何編かの別個の怪談が挿入されることとなります。これらの怪異譚のすき間を、作家・三津田信三三間坂のパートが埋めることで、個別の物語を包み込む全体の大きな怪異譚であるところのホラーと、ミッシングリンクの存在を解き明かすミステリという両輪を持つ作品が成立していると言えるでしょう。
 作品のモチーフや構成は、『のぞきめ』と近いものがあるのですが、その理由すら本作の中では、怪異にリアリティを与えるガジェットとして上手く利用されており、そうした細部にも非常に巧妙な著者の手腕を見ることが出来ます。