海堂尊 『モルフェウスの領域』

 未来医学探求センターに非常勤職員として勤めている日比野涼子の仕事は、東城大学医学部から委託された資料整理と、国内初のコールドスリープ技術で眠り続ける少年が、やがて迎える目覚める日に備えて様々な管理を行うことでした。レティノ(網膜芽腫)の再発をし、治療が可能になる日まで眠り続ける少年佐々木アツシを"モルフェウス"と呼びならわす涼子は、既得権益にしがみつくが故の官僚たちや医学界の思惑から彼を守るために、「コールドスリープ法」の基盤となった「凍眠八則」を提言したゲームの理論の第一人者の曽根崎に論争を挑みます。

 もはやSFといって差し支えのない枠組みを持つ物語でありながらも、一連のシリーズ世界の重要な人物・出来事の空白を埋める一作。シリーズ本流では社会への挑戦や問いかけが主となるのに対し本作では、どちらかといえば内生的な問いかけがなされているといえるかもしれません。
 物語の前半では、コールドスリープ下にある"モルフェウス"が目覚めた後の世界を案じる涼子が、「凍眠八則」に綻びを見つけることで、"モルフェウス"自身の人権を蔑ろにするような法体制に戦いを挑む展開となります。
 そして"モルフェウス"こと佐々木アツシが目覚め、彼自身の意思がはっきりしないままに周囲の思惑が渦巻く後半は、涼子は物語の表舞台からは一歩引いた位置に自ら下がります。涼子は、東城大学オレンジ病棟看護師の如月翔子に目覚めた佐々木アツシを託し、"モルフェウス"を守るために必要な決定的手段を取ることを涼子は決意することになります。
 厚生労働省をはじめとする霞ヶ関の攻防による医療崩壊への警鐘という、これまで著者が描き続けてきたテーマは、本作においても存在していますが、それは現代の日本の医療界をいうものを描こうとすれば、必然的に「誰のための医療なのか」という現実と本来あるべき姿との乖離が浮き彫りになるゆえなのでしょう。本作においても"モルフェウス"という患者の人権はどこにあるのか、医薬品の認可に時間がかかるゆえのドラッグ・ラグの問題などが盛り込まれます。
 ですが、これらの問題の出口を模索して広がっていくシリーズ本編と本作とは、また異なるスタンスにあり、本作においては日比野涼子という一人の女性の強い意志が、全ての事象をねじ伏せている点が印象的と言えるでしょう。
 チーム・バチスタからはじまったこの連続する世界において、現実に生きる読者が直面しているものと重なる問題にどのような答えが出されるのか、あるいはどのような方向に向かって進むのか、益々楽しみになる一作でした。