上橋菜穂子 『虚空の旅人』

虚空の旅人 (新潮文庫 う 18-5)
 隣国サンガルで行なわれる新王の即位の儀式に出席するために、新ヨゴ皇国の皇太子チャグムは島々の海の民を束ねる王国サンガルを訪れます。自国とは違い、自由闊達なサンガルの王家の気質を羨み、島育ちの王の次男タルサンと親しくなるチャグムですが、この国では王国を揺るがす陰謀が、彼らの見えないところでじわじわと進められていました。

 守り人シリーズの第4弾であると同時に、これまでシリーズの主人公であった女用心棒のバルサらではなく、第1作で彼女に守られていたチャグムを主人公とする、シリーズの重要な支流となる物語でもあります。
 何の権力も後ろ盾もないが故に、常に自由な立場を貫いて強大な権力の理不尽と戦ってきたバルサらとは逆に、チャグムは大国の皇太子ゆえに権力も力もあるが故に立場に縛られて煩悶することになります。まつりごとのために犠牲となる命を救いたいと思いながらも儘ならないチャグムは、しかしバルサと共に過ごした日々が彼の人格形成の根底にあるゆえに、皇太子の立場にありながらも、陰謀を知りながら誰かを見殺しにすることは決してしないという信念を貫きます。
 本作では島育ちの伸びやかさに満ちた王子タルサン、タルサンの姉のサルーナ、新ヨゴ皇国の星読博士にしてチャグムの相談役のシュガ、何ら後ろ盾も何も持たない海に生きる民の少女スリナァなど、様々な立場の異なる生き方をする登場人物たちは、各々がそれぞれの立場と信念からの行動を貫きます。そしてそれははからずも、バルサとチャグムが全く逆の立場でありながらも同じものを目指そうとする姿にも重なります。
 シリーズ本流のバルサらに比べれば、様々なしがらみによる縛りもあり、また人間としても途上にあるチャグムだからこその煩悶、そしてそれを乗り越えてなお歩み続け力強さに満ちた物語がここにあります。