湊かなえ 『望郷』

望郷
 自分と母親を残して男と駆け落ちするように島を出て行って、作家として成功して市の式典に招かれて帰ってくる姉に複雑な思いを抱く妹。父親が行方不明になって二人で苦労しながら送る母親と息子の生活に入り込んできた男の娘が、大人になった少年に「父親のことで伝えたいことがある」のだと届く葉書。都会にある遊園地に行くことをずっと夢見ながらも、母や祖母の存在によって叶わなかった少女が大人になり、自身の夫と娘を連れて訪れる「夢の国」で回想する過去。いじめに遭った暗い少年時代を過ごした島に、かつて自分をいじめた同級生の会社から招かれた歌手として成功した男。洪水になった晩に娘に語る、家庭の事情で祖母と島に二人で暮らし始めた少女時代の親友と探したキリシタンの十字架の物語。故郷の島へ教師として赴任したものの、いじめ問題に頭を悩ませて揚句に入院をすることになった青年に、教師だった父親の教え子が訪ねてきたことで分かる過去の事実。これら、瀬戸内海の小さな島を舞台とした、『みかんの花』、『海の星』、『夢の国』、『雲の糸』、『石の十字架』、『光の航路』の6編を収録した短編集。

 白綱島という島を舞台に、島に残らざるを得なかった者、島を出て新しい生活を送る者、島に帰ってきた者など、それぞれの立場から自身と故郷、そして彼らに関わる島に住む人々が描かれます。そこには、閉鎖的で古い考え方が残るコミュニティだからこそのしがらみや、家庭環境ゆえのコミュニティ内での差別やそこからくる子供同士の世界でのいじめなど、様々な人間の嫌な面が描かれます。『みかんの花』では家族を置いて島を出て行った姉の身勝手を恨む妹の心情が、『夢の国』では僻みで家族を支配する祖母とそれに逆らえない母親の保身的なエゴイズムに抑圧される少女が、『雲の糸』では島を出てせっかく掴んだ成功を身勝手に利用しようとするかつて自分を虐げた者たちによって与えられる青年の絶望が、そしてまた『光の航路』ではいじめの加害者でありながらも開き直って攻撃してくる親に振り回され教師の仕事に失意を感じる青年が描かれます。
 ですが、これらの物語全てに通じているのは、各編の主人公にフラストレーションを与える家族たちも含め、島の閉鎖的な住人達すらもが、必ずしも悪意だけの存在としては描かれないということでしょう。鬱屈したフラストレーションで語られた物語は、すべて結末部においては救済されているという辺りが、(すべてとは言いませんが)どこか救いのないものが残る事が多かった湊かなえ作品にあっては、特徴的と言えるかもしれません。恨みや苦しみにより、近視眼的になってしまっていた各編の語り手たちの救済ともいえるそれぞれの結末は清々しく、読者にも勇気を与えられるものと言えるでしょう。
 劇的な事件を描くのではなく、等身大の人生を描く物語だからこそ、という一作。