辻村深月 『スロウハイツの神様 上/下』

スロウハイツの神様(上)スロウハイツの神様(下)

 若手の脚本家として目覚しい活躍をしている赤羽環の持っている昔旅館だったという建物は、気心の知れたクリエイター仲間たちが住む現代の「トキワ荘」となっています。家主で脚本家の環、優しすぎる漫画家志望の狩野、自分の感情を作品に出せずにいる映画監督志望の正義、自立できない画家の卵のすみれ。そしてかつて熱狂的な読者が小説を模倣して大量殺人を行ったという過去をもつ小説家、チヨダ・コーキと、チヨダ・コーキを作り上げた敏腕編集者の黒木。そして、彼らが住む「スロウハイツ」に、チヨダ・コーキの熱烈なファンを名乗り、彼の小説から抜け出してきたような美少女が入居します。

 まず、これまでの4作とも共通するのが、それまでの環境や過去の出来事によって心に傷を負っているなど、(表現は悪いですが)精神的に「かたわ」な部分を持っている登場人物たちの救済の物語だということでしょう。
 上下二冊の分量はありますが、この人の作品の中では今までで一番冗長さも感じませんでしたし、非常に爽やかな読後感のいわゆる「いい話」でもあります。この著者の持ち味である、鋭い感性そのままの言葉を綴った物語のテイストが合う人合わない人はいるでしょうが、比較的嫌味の無い青臭さあり、サラリと描いた人間の汚い部分もあり、キャラクターで読む読者層にもそれなりにアピールするものがある1作かもしれません。何か裏のありそうな美少女莉々亜の作り込んだキャラクターを剥ぎ取られるさまや、「スロウハイツ」に最初から入居していたメンバーであったにも関わらず、環への鬱屈した気持ちの果てにこの楽園を出て行くエンヤの役回りの配置など、人物配置には実に無駄がなく、物語の伏線も丁寧であると言えるでしょう。
 ただ、青春群像劇として読むのであれば、少しだけ人物造詣の掘り下げが弱い部分も感じられます。ポイントポイントで生々しい人間として登場人物の作りこみを行う半面で、根本では理想化し過ぎてあくまでも「作り物」である部分とのアンバランスさが、個人的には少し気になりました。
 ですが、予定調和的ながらもきちんと収まるべき方向に収めた伏線回収や、どこか苦さを残しながらも前向きな着地点を綺麗に決めている手腕は評価するに十分な水準の1作。
 作中で語られるチヨダ・コーキの小説も、あまりにも絶対的な影響力を持った存在として描かれているために、具体的にイメージしづらい部分はありますが、人間として成長するある時期に猛烈にのめり込み、そして「抜け」て行くという微妙な位置付けは非常に魅力的でした。
 そして作中の視点の多くを担う狩野が語る、以下の創作の姿勢は本作に通じるものなのでしょう。

人を傷つけず、闇も覗き込まずに、相手を感動させ、心を揺さぶることは、きっとできる。そうやって生きていこう、自分の信じる、優しい世界を完成させよう。それができないなら、自分の人生は失敗しているも同じなんだと、そう思ったのだ。

スロウハイツの神様 下』(2007)p60