パトリシア・コーンウェル 『神の手 上/下』

神の手 (上)神の手 (下)
 殺人者の脳を調べる研究の一環で、ベントン・ウェズリーは収監中の囚人との面談を行います。その中で囚人は、自らの待遇に関する条件と引き換えに、未解決の事件の手掛かりを匂わせてきます。アカデミーで講義をする検屍官のケイもこの事件に関わることになりますが、このところ彼女は長年の仲間であった元刑事のマリーノとの間に出来た溝を感じ、そして自分を避けるかのような姪のルーシーに心を痛めています。柑橘系の樹木の病気と、殺人事件の繋がりとは。そして、ルーシーの不可解な行動の理由は何なのか。ホッグ――Hand of God(神の手)を名乗る犯人は、いかなる殺人者なのか。

 『黒蠅』以降、多用される視点の切り替えと、短く区切られる場面転換により、物語を多角的な視点から描こうとしている意図は分かりますが、相変わらず散漫で分かりづらく、無駄が多いのに肝心な所がフォローされないという、今回もまたシリーズ初期と比べると不満の残る内容でした。
 また、『黒蠅』でも感じたような、致命的ともいえるキャラクターの変質は進んでおり、かつては粗暴融通の利かない上に冴えない巨漢ではあるが、一本気でどこか憎めなかったマリーノが、見栄ばかり張ってどうしようもない、情の薄い自分本位な男としか読めませんし、ルーシーに至っては、完全に問題しか起こさないかつての天才の成れの果てとしか言いようのない描き方になっているように思えて仕方ありません。
 とくに本作では、ルーシーの秘密が明らかにされますが、頻繁に切り替わる視点の与える煩雑な印象と、その結果どの視点にも共感することが出来ないという欠陥によって、本来感じるべき衝撃もあまりありませんでした。
 また、犯人に対する描き方にしても、近年幾つかの小説や事件でポピュラーになった障害をモチーフにしてはいますが、どうにもそれを描ききれていない底の浅さを感じてしまいます。幾度となく犯人視点が挿入されるも、表面的な経過の記述に終わっている上に、最後の結末部分での纏めが甘いため、その狂気の深さを描ききれていないと言わざるを得ないでしょう。