戸板康二 『中村雅楽探偵全集Ⅰ 團十郎切腹事件』

團十郎切腹事件
 歌舞伎界の老優、中村雅楽を探偵役に据えた短編集。
 歌舞伎役者である雅楽と、新聞社の演劇記者である竹野が、芸事を中心にした世界で起こる事件を解きほぐします。
 演劇評論家として活躍していた著者が、乱歩によってミステリを書くきっかけを与えられ、そしてデビュー作として上梓された『車引殺人事件』や、直木賞受賞作でもある表題作をはじめ、全18編を収録。

 まず何と言っても、探偵小説の要である名探偵としての中村雅楽の人物が非常に良い味となっています。クイーンの生み出したドルリー・レーンを彷彿とさせる雅楽のキャラクターは、それぞれが短編ながらもしっとりとした存在感を放ち、役者としても人間としても、さらには探偵としても老成した風格を備えており、作品をまさに「探偵小説」と呼ぶに相応しいものにしています。
 そして各作品とも、物語にもトリックにも派手さはないものの、雅楽の鋭い観察眼と洞察力をベースにして、オーソドックスでありながらも職人技のような風格を備えていると言えるでしょう。同時に、歌舞伎の世界を舞台にした作品ならではのトリックや物語を仕立てたことで非常に良い個性付けがなされ、全編に渡って古き良き、粋と人間味を感じさせるものとなっています。
 良い意味で芝居がかった仕掛けや、物語の奥行きを感じさせる、時代色豊かな作品集として楽しめました。
 ただ、巻末に収録された資料との兼ね合いもあるのでしょうが、収録された短編の数が多く、結果的に分厚くて文庫にしては高価格な本になってしまったために、とっつき難い感じを与えるのは勿体ない気もします。