海堂尊 『死因不明社会』

死因不明社会 (ブルーバックス 1578)
本書は、病理医として勤務する傍らで次々にヒット作を生み出している著者が、小説という媒体を用いることで描いてきた問題をブルーバックスで広く一般に問題提起をしているものです。
日本の解剖率2%という驚異的な低さ、監察医制度の形骸化への動きや地域格差の問題によって、死亡時医学検索システムの不備が起こり、虐待など社会問題を含めた犯罪が見逃されるという怖れに加えて、やはり根底には病理学者である著者の立場が大きいのでしょう。
これらの解決の糸口としてAi(死亡時画像診断)という手法が有効であるのは事実でしょうし、システムの中に組み込まれることの必要性を分かりやすく訴えているという意味で、本書は一読の価値を持つものでしょう。
また、小説読者の立場から読めば、著者がこれまでに発表してきた作品の根幹にあった死亡時医学検索システムや末期医療の闇などの問題を、改めて現実レベルで再認識することで、これまでの作品を一層深く読めるという部分でも、本書は興味深いものと言えるでしょう。

多くの場合、死体検案の時点で兆候を見逃されたがために、強制力を持った司法解剖がなされず犯罪が隠蔽されてしまうケースは想像の範囲内でしょうが、同時に、強制力を持たない病理解剖や行政解剖は遺族の同意が得られ難いことや、費用が病院の持ち出しになることが多いという現行の不備を広く訴えたという点では、著者の功績は評価されるべきものでしょう。
娯楽小説という媒体において支持を得ている著者だからこそ、これまでに刊行されてきた娯楽作品からそのまま読者を引っ張ってきて、本書で問題提起をして現行制度の歪みに広く目を向けさせるという作戦勝ちを為し遂げることが出来たのでしょう。

ただし、Aiの制度化にしろこの問題の根幹に関わる議論にしろ、本書はあくまでもAi推進派の立場での議論です。
そこでは経済効率の視点は軽視されていますし*1、反対派の立場からの主張はほとんど議論としては遡上に乗っていないことには注意が必要でしょう。
財政赤字がこれだけ大きな問題となっている現在、著者らの目指す方向が非常に困難を極めていることは事実でしょう。

*1:Aiを導入すれば、半日以上かかっていた解剖よりは、マンパワーの面で優位なのも事実でしょうし、客観的事実である画像診断の絶対的な優位性も疑う余地はありません。また、正確な死因を究明されることが国民の権利であるという主張もその通りでしょう。ただし、Aiというシステム導入費用は別としても、Aiを導入することで新たに解剖の必要性のある事案が増えるだろうという予測を考えれば、相対的なコストが増大するのは避けられません。