ダイビングツアーで遭難し、輪になって海上に漂流しながら救助を待った六人の仲間は、生還した後も強い信頼の絆で結ばれ続けます。ですがそのうちの一人、米村美月が仲間たちが眠った隙に同じ部屋で青酸カリを飲んで自殺をしてしまいます。警察も美月の死を自殺と断定して事件は終わりますが、死んだ彼女のそばに転がっていた青酸カリの壜の蓋が閉められていたことで、「誰か別の人間が蓋を閉めたのではないか」という疑惑が浮上します。そして再び集まった仲間たちは、自分たちの中にいる美月の死に手を貸した協力者を突き止めようとします。
まず、本作において特徴的なのは、「実は他殺ではなかったのか」という点に関してはほとんど言及されることがないという点でしょう。
互いの手を繋ぎ輪になって漂流したという極限体験の共有により、美月を含めた六人の仲間に対する信頼は「互いに揺るがないものである」というのが、本作においては常に大前提にあります。
「よく、『積み上げるのは時間がかかるけど、壊すのは一瞬だ』って言うだろう?僕たちの場合は逆だと思うんだ。僕たちがお互いに信じ合える関係になったのは、漂流というある意味一瞬の出来事が原因だった。そしてその信頼関係は、今壊れる可能性に直面している」
清美は黙って話を聞いていた。
「それなのに僕たちときたら、お互いをまったく疑っていない。正しく言うならば、誰かが持ったかもしれない悪意の存在を、まるで信じていない。(略)」
p181
このように、そこに悪意が存在することなどあり得ないという前提で話が進められる故に、「万が一青酸カリが入った壜の口が開いたまま部屋の中に拡散して、仲間の命まで危険に晒すようなことを彼女はするはずがない」と残された五人は信じますし、他殺の可能性を否定するのみならず、自殺幇助を行なった者がいたかもしれないことに対しても、「彼女の意志を尊重した」のだとあっさりと受入れてしまいます。
また、美月の自殺の動機とされるものに関しても、その大前提には「仲間との絆」があるのですが、この辺りの強引さも、またそれを疑いもなく受け入れる残された「仲間」たちの間にあるセンチメンタリズムも、正直なところ読んでいて違和感を感じざるを得ませんでした。
ただし、「誰が彼女の協力者だったのか」というフーダニットと、「何故彼女は死ななければならなかったのか」のホワイダニットに至るディスカッションに関しては、実に綺麗な論理の構築を見せていると言えるでしょう。
また、互いに「相手が裏切るはずがない」という作品の根底にある登場人物たちの信念を、「走れメロス」との登場人物に重ね合わせ、さらにはその重ね合わせから結末部における真相の推理に繋げた効果も見事なもの。
ただし、これらの高い構築レベルにある論理が全て、「信頼」という大前提の上に築かれる点、そしてこの大前提が読者に対し十分な説得力を持っていないという点は指摘せざるを得ないでしょう。