県内有数の素封家である宇津城家では、七月十七日に死ぬ人間が相次いでいます。現当主の恒蔵の父親がその日に病死したのをはじめ、二番目の妻のあかねと、最初の妻であかね亡き後に再婚した律子がこの日に不審な自殺を遂げていました。そして律子の一周忌にあたるその年、恒蔵の愛人である杏子の長女が、モニュメントにされた木のてっぺんで串刺しにされ殺害されているのが発見されます。そして三回忌、七回忌と、宇津城家では異様な遺体が発見される事態が続き、迎えた十三回忌にもやはり事件は起こりました。
人間には不可能な場所での串刺し状態で発見された少女、殺人と同時に起こる怪現象など、奇想と大仕掛けに満ちた作品。また、提示される不可能状況と大仕掛けなトリック、さらに終盤でひっくり返る展開なども含め、いわゆる本格のコードに極めて忠実な作品でもあります。
それだけに、特に終盤でどこかがひっくり返ることは割と序盤から予測されがちでしょうし、要所要所に仕掛けられたミスディレクションにしてもフェアプレイに徹している分、分かりやすいものになってしまい、決して上手く隠しきれていないという部分は指摘できます。また、個々のトリックにしても決して洗練された天才的な犯罪の結果ではありませんし、探偵が事件に関わって最初に発見するものに関しても、それまで誰一人として「それ」を発見出来なかったのはさすがにどうなんだろうと思ったことも事実。
ですが、こうした拙さも含め、あまりにも非現実的な偶然の連鎖による大仕掛けのバカミスっぷりは嫌いではありませんし、こうした極めて本格らしい本格作品を指向したという面でも好感を持てるものと言えるでしょう。不可能状況の演出と犯行そのもののハウダニットの解明は、個々の謎の大きさや魅力も十分であり、さらにその上でこのハウダニットそのものを踏み台にしたさらなる仕掛けも(効果が十全に発揮されているかどうかはさて置き)意欲的なものであったと評価出来るでしょう。
ただし本作において一番の引っかかりは、登場人物、とくにミステリにおいては中心のひとつであるはずの被害者たちの書き込みがあまりにも薄いため、一つ一つの事件の陰惨さが「コード」にとどまっており、小説としての深みに欠けてしまっている部分でしょう。
必ずしも「人間を描く」ことを第一義に置く必要性は感じませんが、十三年以上にわたって手の込んだ殺人を進める犯人の殺害に至る背景や妄執が見えてこないという点は、作品そのものの目指す方向が決して嫌いではないだけに残念に思えます。