東野圭吾 『聖女の救済』

聖女の救済
 1年以内に子供が出来なければ別れるという"ルール"によって離婚目前の妻が実家に帰省中、愛人と家で過ごした夫が死体で発見されます。夫を死に至らしめられた毒は、彼が飲んだコーヒーに入っていたことが分かりますが、その日の朝には同じコーヒーを愛人の女性も共に飲んでいました。毒はどの経路で、どうやってコーヒーに混ぜられたのか。刑事の内海は妻に対して疑念を覚えますが、彼女には鉄壁のアリバイがあり、夫に毒を飲ませる機会が見当たりません。

 犯人が殺害を決意する瞬間から幕があがる本作は、最初から一貫してあくまでもハウダニットを主題とした倒叙に近い形式の作品となっています。
 内海が妻に疑念を持つふとした引っ掛かり、湯川が推理を繰り広げるその過程といったものが、物語の展開の中で、提示された謎が解決に結び付くまでの過程が、非常に説得力も持って織り込まれていることも何とも秀逸。被害者を殺害するためのトリックそのものは決して大きなものではなく、むしろ短編などで使われそうなものですが、細やかな筆致で描かれる人間模様の中にその犯行の周到さが見て取れることにこそ、本作の上手さをを見て取れます。
 容疑者としては主に愛人を疑う先輩刑事の草薙は、被害者の妻に対して仄かな想いを抱いたことがバイアスになりますが、それでも彼は、ギリギリ最後の地点で刑事としての冷静な目を保ち続けようとします。それに対し後輩の内海は、一見して疑う余地のない妻の言動のあちこちに、最初から小さな引っ掛かりを覚えます。この二人の刑事の微妙な心理を描くことでも、愛人の女性と妻と夫の危うい関係、そしてそこに秘められた複雑な内面がグッと深みを増していると言えるでしょう。
 さらにメイントリックに関しては、(以下ネタバレ反転)殺すための時限装置ではなく、殺さないための時限装置とした発想の転換が光るものになっています。
 最後にもう一つ大きくひっくり返る展開があっても良かった気はしますし、「完全犯罪」と言い切るには若干弱い部分も感じますが、冗長になりがちな展開を飽きさせずに読ませる上手さと、丁寧に描かれる推理過程、人間模様、そしてあくまでもひとつのトリックだけをメインに読ませる面白さを堪能出来た1冊でした。