母が死んでから仕事もせず、暴力を振るうようになった義父を殺そうと決意した蓮は、大型の台風の接近を前に犯行を実行することにします。一方、自分が母を殺してしまったのではないかと悩む圭介は、母親の死後に後妻に入った里江に憎悪を向ける兄の辰也の暴走に、密かな怖れを抱きます。嵐によって降る雨の中、二つの家族の中に潜む憎悪が思わぬ形で絡み合い、そして悲劇が起こります。
兄と妹――兄と弟、彼ら二つの家族に蓄積するすれ違いから起こる悲劇が噴出する雨の日が、著者らしい趣向を交えて描かれた作品。
幕開けから明確な殺意が提示されてはいるものの、そこにある迷いや躊躇い、殺人計画が頓挫することでの安心など、決して安直なものとしてではなく、「殺意」は読者の共感を引き出すかのように細やかに描かれます。
作品の仕掛けの構造としては『ラットマン』に通じるものがある本作ですが、そこに描かれるベクトルというのはどちらかと言えば本作はどこまでもネガティブであり、道尾作品には珍しい感じでもやもやとした読後感が残った気がします。
それは、決定的なすれ違いを修正することが出来ず、取り返しの付かない悲劇になってしまった物語ゆえの切なさであり、真実が明らかになったことでスッキリするのではなく、やるせなさを覚えさせられてしまうだけの書き込みが、物語において丁寧になされた証なのかもしれません。
本作では、幾つかの疑惑の積み重ねがなされた上で、登場人物の執着や憎悪のベクトルの方向性が見えてくるわけですが、物語性の掘り下げの影で仕掛けられるミスディレクションのあざとさの精度の高さは、一定の評価を得るものになっているということは出来るでしょう。