桜庭一樹 『私の男』

私の男
 2008年、24歳で美郎に嫁ぐ花と義父の淳悟。2005年、「凶悪なヒモがいる」という噂の花の存在が気になる美郎。2000年7月、花と上京したばかりの淳悟のもとを訪れる知人。2000年1月、淳悟との北の地での危うい生活に落ちる影。1996年、淳悟と親しく付き合っていた女性、小町が感じる花と淳悟への言い様のない嫌悪感。そして1993年、花の人生を変えた災害、そして淳悟との出会い。9歳で家族を失った花と淳悟との関係、その根底へと遡る物語。

 細部にまで気を配った言葉選び、24歳の花が結婚を機に父親であり「私の男」であった淳悟と離れる時点から時間を逆行する構成などにより、その持ち味が最大限に生かす技法を的確に著者が選択した作品。
 本作においては、花が美郎との結婚を決める過程や、淳悟と小町と花の間にあっただろう物語など、その多くが描かれることなく終わっています。物語の時間軸は逆行し、そこにある過程を全て描くのではなく、花と淳悟の関係を象徴するようなポイントポイントにのみ焦点を当てたことで、逆にそこに描かれなかった全てをも、読者に対して見せているという面もあるように思います。
 ただ、単に近親相姦というセンセーショナルな要素だけをクローズアップすることは作品の本質ではないとはいえ、そこにあるのは社会的なモラルに反した父娘の関係であることは事実であるゆえに、かなり読者を選ぶ作品であるのもまた事実でしょう。
 とはいえ、この『私の男』に描かれる淳悟と花との関係というのは、いわゆる男女の関係を父娘という間柄の中で為してしまったというのではなく、「娘は父親のもの」「親と子は何をしても良い」という完全な共依存です。それは、互いに血の繋がりのあるただ一人の相手を完全に「自分のもの」として見なす関係であり、別の個に向ける愛情や欲望ではなく、むしろ自己愛であるとも言えます。
 それゆえに、花も淳悟も、二人だけの完全な世界を損なう者を許容することはありません。彼らが殺した相手は、二人の関係を本能的に否定し、社会的なモラルという観点から彼らの存在を否定したがために殺されたち言っても過言ではないでしょう。
 本作よりも後に書かれた『ファミリーポートレート』においても、著者は他者の入り込むことがない故に成立する、歪んだ楽園のような関係に生きる親子を描きます。ですが、相手を完全な自分のもの、自分もまた完全に相手のものとした心地良い関係によってのみ成り立っていた世界は、娘が別の伴侶を見つけることで決定的な決別を迎えざるを得ません。
 本作においては、淳悟と花が互いに異性であったことで、娘が少女から女へ変わることでの世界の崩壊は免れますが、二人だけの蜜月が永遠ではないことを父の淳悟は早くから知っています。そして、「彼らがこの物語の行きつく先にどうなったのか」を描くのではなく、二人の時間を遡ることで「彼らが何故ここに辿り着いたのか」を描くことで、本作は深い余韻を残すものとなっていると言えるでしょう。