深水黎一郎 『トスカの接吻 オペラ・ミステリオーザ』

トスカの接吻 オペラ・ミステリオーザ (講談社ノベルス)
 プッチーニのオペラ『トスカ』の上演中、トスカが悪役のスカルピアをナイフで刺す場面で、スカルピア役のオペラ歌手が本当に刺し殺されてしまいます。世紀の舞台とも言える好演の最中、小道具のナイフが何者かの手によって本物にすり替えられたことによる殺人は、幕が下りるまで誰一人としてその異変には気付きませんでした。捜査を行なう警察ですが、動機からも犯行の機会からも決定的な容疑者を絞り込めずにいるうちに、第二の事件が起こってしまいます。

 オペラ『トスカ』を題材に、その劇的な場面で最高潮に盛り上がったその瞬間に起こる殺人によって、物語の幕開けが劇的に彩られます。
 そして事件の捜査は、このオペラ『トスカ』を主題にした芸術批評を随所で語りつつ進められることとなります。一度に膨大な薀蓄を垂れ流すのではなく、タイミングよく配置されて、小出しにされる芸術論は無理なく読者に膾炙され、それが最終的には登場人物の心情なり立場なりとのオーバーラップを見せる著者の話運びの上手さをまず評価したいところ。
 また、『トスカ』という悲劇性の強い題材を、事件や登場人物たちにオーバーラップさせることで、物語に詩美性を与え、事件の謎とともに本格ミステリらしい硬質な雰囲気を添えることに成功しているとも言えるでしょう。そしてそれでいながらも、あくまでもメインの登場人物たちの飄々とした個性と、良い具合に力の抜けた著者自身の語りの上手さによってリーダビリティをも保っており、その辺りの緩急のバランスも良い作品。芸術論と陰惨な事件の組み合わせにより生まれる本格ミステリらしい風格と、決して硬くなりすぎずにリーダビリティを維持し続けるという、両方の美点を兼ね備えている点に関しては、前作『エコール・ド・パリ殺人事件』においても発揮されていましたし、これらは非常に好ましい著者の特性であると言えるのかもしれません。
 事件の真相解決部においては、意外な真相というよりは、やや唐突で呆気なさのようなものも感じないではありませんし、ダイイング・メッセージに関してはそれを残した人物の特殊さに頼り過ぎているきらいもありますが、全体として非常に良質なミステリとして十二分に楽しめた1作でした。