伊藤計劃 『虐殺器官』

虐殺器官 (ハヤカワ文庫JA)
 近未来、世界中で民族間紛争などによる内戦で虐殺が横行する中、アメリカ軍において、暗殺を含んだ特殊任務を遂行するための部隊に、クラヴィス・シェパードは所属していました。虐殺を引き起こしている首謀者らを暗殺する任務を負ったクラヴィスらは、ジョン・ポールなるアメリカ人が、いくつもの虐殺の背後にいることを感じ取ります。

 一見すると、近未来テクノロジーを取り入れた軍事謀略サスペンスにも思えますが、本作はそうした要素を取り入れながらも、「生と死」「罪と罰」といった重厚なテーマを描き出した、骨太かつ繊細なSF作品として見ることが出来るでしょう。
 冒頭から凄惨な場面が主人公の一人称視点によって語られますし、戦争によって荒廃した国での暗殺者としての任務にしろ、ひたすら死が積み上げられていくわけですが、硬質な質感をもって描かれる情景はどこまでもナイーブであるという、不思議な味わいのある世界がつくりあげられています。
 主人公クラヴィス・シェパードの視点で語られる作品の随所には、著者自身の膨大な読書・映画体験によってもたらされた思索が繁栄され、それらが主として「死」というものを語るためのガジェットに生かされます。そうした手法が、本作を単なる謀略物や軍事物というストーリーをなぞるだけのものではなく、非常に内生的な小説として成立させるひとつの大きな要素となっていると言えるかもしれません。
 また、日常・非日常問わずに多くの死に触れるクラヴィス・シェパードですが、そうした環境は彼の内面を揺らがせることはあっても、本作で描かれる世界のもとでは人間的に大きな変貌を遂げさせる要因とはなり得ません。それは、そこに介在するテクノロジーによるものであり、彼らを包み込むテクノロジーにより、人間たちは本来遂げるはずの人間的な成長を抑制されることになります。それゆえに、主人公クラヴィス・シェパードは敵を殺すことに何ら躊躇いも覚えず、罪悪感を感じることもない反面、常に「生と死」「罪と罰」に対して思いを馳せ続けます。さらには死という出来事によって、それまでの自分自身を破壊されたジョン・ポールの姿は、そうした主人公とは対照的でありながらも、深いところで何かを共有し得る存在として描かれます。
 そしてまた、描かれる世界は、9・11以降の、テロの驚異への防衛のために、自由を手放し人間すらをもコード化し、統制されることを目指したゆえの歪みを見せます。テロへの驚異に対抗するために形成される世界秩序が、逆に民族間紛争や内戦を誘発させる危険性を孕んでいることへの著者の鋭い視点が、現在の政界情勢の中では何ともリアルに感じられ、フィクションとしての世界構築の緻密さを見せると同時に、本作が現実への警鐘や皮肉を含んだ作品であるという点にも大きな魅力を感じます。
 残虐な死が無数に積み重ねられながらも、どこかサイレント映画のような静けさを感じさせる作品でした。