兄が申し込んだ体感型オンラインゲーム、「アンリアル」の体験版のプレイヤーに選ばれたサトルは、兄とともに毎夜決められた時間にゲームの世界にログインすることになります。中世ヨーロッパを原型にした、あまりにもリアルなその世界で、騎士となって残虐な行動をエスカレートさせていく周囲に、サトルは戸惑いを覚えます。そして、本来はただのプログラムでしかないはずのノンプレイヤー・キャラクターの少女が、「心」を持ってサトルの前に現れます。兄を含めたプレイヤーたちが、現実に生きる人間と同じように心を持ったキャラクターを狩ろうとするなど、残忍な行動に拍車がかかるに及んで、サトルは図らずも他のプレイヤーたちとは敵対行動を取ることになってしまいます。
やる気のない態度を殊更にして見せて勝負をはなから投げることで、自分の弱さを取り繕う等身大の痛々しさを感じさせ、周囲へのコンプレックスと自意識の狭間で葛藤する主人公のサトルは、「アンリアル」という仮想現実の世界(=理想の自分が思うがままに力を振るうことも可能な世界)での時間を過ごすことで、徐々に現実でこれまでの自分が目を逸らしていたものを受け止めるようになります。
それに対して、現実では気が弱く、周囲に馬鹿にされながらも時としてサトルにコンプレックスを抱かせるまでに善良な人間としてひっそりと生きていた兄は、「アンリアル」において自身が力を持つことに酔いしれ、次第に彼の中での現実(リアル)と「アンリアル」との比重に変化をきたすことになります。そして現実において、僅かずつ「アンリアル」での顔を覗かせるようになる兄の姿が、主人公のサトルと対比して描かれることになります。
本作においては、サトルと兄にそれぞれの「弱さ」が等身大に描かれ、サトルが自身の弱さを受け容れることで前進する一方、「アンリアル」に逃げ込むことでおそらくは結果的に、自身の弱さからは逃げ切れないだろう、兄の描かれなかった行く末が、読者に予感される効果を持っていると言えるでしょう。
ですが、こうした実にリアルな弱い人間の書き込みが深くなされる反面、本作だけではその存在意義が今ひとつ明確でない登場人物も皆無ではないという側面は指摘できるでしょう。「心」を持ったというゲーム内のキャラクターに関しては、あくまでも「アンリアル」に滞在する時間の限られるサトルの視点であるゆえの限界はあるでしょうが、現実で彼を取り巻く人物たちに関して、もうひとつ掘り下げても面白かったのではないかという気はします。
そして、「アンリアル」を経ることで、それぞれの「リアル」を選び取ったサトルと兄の行くつく結末に関しては、必ずしも本作だけでは、明確な形での終わりを迎えるわけではありません。ですが、そこから読者が彼らの未来を予感させられる形となるラストは、様々な余韻を含んだものとなっています。
本作に続編が書かれるのか否かは不明ですが、その描き方次第で本作は傑作にも凡作にもなり得る作品かもしれません。