セバスチャン・ジャプリゾ 『シンデレラの罠』

シンデレラの罠【新訳版】 (創元推理文庫)

 火事で顔と手に火傷を負い、病院で目覚めた主人公には記憶もなく、自分がミシェルという名の20歳の娘で、"ミ"という愛称で呼ばれる裕福な女性であることを知らされます。一緒にいた"ド"の愛称で呼ばれるドムニカという幼馴染は焼死しており、"ミ"は自分が本当は"ド"であり、本物の"ミ"を殺したのではないかという疑念に苦しみます。

 <私は、探偵であり、証人であり、被害者であり、しかも犯人である>――この魅力的な文言で語られるのは、「彼女が本当は誰なのか」という詩美的な謎でもって語られる女性の物語です。
 資産家の伯母から偏愛されたことで莫大な遺産を受け継ぐことになった"ミ"と、彼女と一緒に過ごしながらも伯母からは"ミ"以外にはわざと愛情を傾けずに殊更に差を見せつけられるような仕打ちを受けてきた"ド"。我儘で奔放な"ミ"と抑圧された"ド"、絶対的な力をふるう伯母、そして伯母に長年雇われていて"ミ"の後見人となったジャンヌ。
 自分は"ミ"なのか、それとも"ミ"を殺して彼女になり変わった"ド"なのかと主人公が模索する中で、伯母、そして"ミ"と"ド"、ジャンヌとの、閉鎖的で歪んだ人間関係が浮かび上がります。彼女らの愛憎入り混じる歪んだ関係の起点は明らかに故人である伯母ですが、その伯母自身が物語に直接登場するシーンが皆無に近いというのも、本作においては特徴的な事柄かもしれません。"ミ"、"ド"、そして長年仕えたジャンヌの視点で語られる伯母は常に絶対者であり、彼女らの嫉妬や愛憎を操ってさえいた存在と言えるでしょう。既に物語からは退場している女性に起因する歪みが、記憶を失った主人公の真実探しとともに、明確に浮き彫りになってきます。
 そして本作はまたリドルストーリーとして読者の解釈の余地を残すものでもあり、この謎の残し方、余韻の引き方が実に印象的で美しい一作と言えるでしょう。