ジョン・ディクスン・カー 『蝋人形館の殺人』

蝋人形館の殺人 (創元推理文庫)
 さびれた蝋人形館に入る姿を最後に目撃された若い女性が殺され、そのことで蝋人形館を訪れた予審判事のアンリ・バンコランと助手のジェフ・マールでしたが、彼らの前に展示物のサテュロスの像に抱かれた、上流階級の若い女性の遺体が発見されてしまいます。

 アンリ・バンコラン物の新訳。
 明らかに事件について何かを知っていそうな登場人物が中々本心を明らかにしないことでのフラストレーションの与え加減が何とも絶妙で、蝋人形館という舞台そのものが意外な役割を持っていたことが明らかになる辺りなど、冒険譚として読んでもワクワクさせられる物語の作りがなされています。その辺り、日本では以前に児童向けの訳本があった作品というのも頷ける一作と言えるでしょう。
 パリという街の華やかでありながら、その裏にどこか闇があるような雰囲気が本作では良く作り込まれており、カーならではの怪奇趣味やオカルティックといった代表作品とはまた違った雰囲気ながらも、いわゆる「探偵小説」の味わいを堪能できる作品世界と言えるかもしれません。
 物語そのものは、カーの他作品で演出されるほどには不可能状況が極まっているとはいえませんが、探偵役のバンコランからして警察の捜査の目を撹乱させるような言動をとるなど、読者に対してもミスリーディングが巧妙に行われます。
 そして何と言っても本作は、バンコランの謎解きによって、小さな手がかりがさりげなく、それでいながらフェアに提示されていたことが、明かされる様が実に鮮やかな作品と言えるでしょう。そこで明かされる、登場する蝋人形そのものが、ある寓意を持たされていることが明らかになるくだりなどは、犯人の独白にさほどの割合を与えていないにもかかわらず、犯人の心情が実に印象的に読者に伝わることとなります。
 さらにはラストでの犯人との対話がまた緊張感溢れるものであり、バンコランが犯人に持ちかけたある勝負により、作品が一気にリドルストーリー的な色合いを帯びるなど、結末が強烈な印象を残していると言えるでしょう。