小栗虫太郎 『黒死館殺人事件』

黒死館殺人事件 (河出文庫 お 18-1)

 降矢木一族の所有する豪壮なゴシック建築の城館に住むバイオリニストが奇怪な死を遂げ、事件の報せを受けた法水麟太郎は、この城館・黒死館を訪れます。メディチ家の流れを汲むと言われる降矢木家の有するこの館には、故人となった当主の長男、執事、図書掛り、秘書、給仕などの他に、死亡したバイオリニストを含め、黒死館にはこの館で育った四人の外国人弦楽奏者が住んでいました。怪しい光を発する死体、亡き黒死館の主の妻の姿を模した人形"テレーズ"がそれを為したかのような前当主降矢木算哲の死。降矢木家に降りかかる奇怪な連続殺人に、膨大な知識をもって法水麟太郎が挑みますが…。

 巻末に収録されている渋澤龍彦の解説では、犯人の名前もしっかりネタばらしされていますが、いわゆるフーダニットだとか、本格ミステリにおけるロジックだとかを念頭において読もうとすると非常に厳しい1冊。
 本作は膨大な薀蓄が語られるタイプのミステリの先駆的な作品とも言えるのでしょうが、それにしても本作における比重では事件そのものの扱いが実に小さく、過剰なまでのペンダンティズムに満ちた探偵の語りこそが、作品の本質部分であるという部分でもまさに「奇書」。
 「ストーリーを追う」という通常の小説の読み方をすれば、ペンダンティズムに押しやられてそのあまりの難解さに匙を投げたくなります。
 本作の舞台は非常に限られた空間の中であり、動的な展開はほとんどありません。そして、主に法水麟太郎がオカルティズムから遺伝学まで様々な分野の薀蓄を他の登場人物との会話において垂れ流す部分こそが本作では「主」であり、事件そのものの解決やストーリーといったものは、あくまでも「従」であると言えるでしょう。

この『黒死館』では、トリックはあくまで装飾的かつ抽象的であり、読者をして謎解きの興味へ赴かしめる要素はほとんどないと思われるので、ここで私がよしんば犯人の名前をすっぱ抜いたとしても、それによって小説自体の興味が減ずるということは、まず有り得ないことと考えられる。

と解説で書かれているように、ミステリにおけるゲーム性は本作においては薄弱ですし、動機の説得力も弱く(というよりも理解し難く)、正直読み終えて犯人が明らかになってもそれだけでは本作の全貌は「良く分からない」というところも多いのですが、そのことによって作品そのものの価値は決して損なわれてはいません。
 とはいえ、読み通すにはそれなりの忍耐力も必要ですし、よく言われるように非常に難解な作品であるのも確かです。「探偵小説」という枠組みを用いながらも、単に事件の流れを追えば良いというレベルではない、本作の難解さもまた「奇書」としての魅力の一端であるのかもしれません。