古野まほろ 『絶海ジェイル Kの悲劇'94』

絶海ジェイル Kの悲劇’94 (光文社文庫)
 大戦中に「アカ」であるという疑いを掛けられた末、絶海の孤島にある監獄へと送られた当時の八重洲爵位にあったの祖父が、実は仲間と共に脱獄を果たして生存していた――そして希代のショパン奏者だった祖父の幻の音源が録音されたレコードがあると聞かされ、自身も天才的ピアニストである「イエ先輩」こと八重洲家康は監獄のあった島へと向かいます。ですが、その島で待ち受けていたのは、かつての憲兵で監獄の長であった男の孫でした。囚人が脱獄をしたがために、無念の死を遂げる他なかった祖父の怨讐により、その男は家康ら、かつての囚人の子孫と自分たち看守の子孫を島に集め、八重洲侯爵らがどのようにして脱獄を果たしたのかを解き明かし、同じ手段でもって脱獄して見ろと迫ります。

 実を言えば古野まほろはデビュー作以来苦手意識を持っていた作家で、その後あちこちで評価されていたのは知りつつも、どうも手を出すのを躊躇い続けていました。その理由の最たるものはやはり、「まほろ語」と一部で言われるようなぶっとんだ台詞回しと、過剰なほどにペンダンティズムによって表現される世界観にあったものの、かつてデビュー作で受けたダメージも薄れてきたせいか、ついつい魔がさして手に取ってしまったのがこの1冊。
 それなりに覚悟はして読みはじめましたが、あれ?古野まほろってこんなだったっけ??と思うほどにスムーズに読め、また期待値が低かった(というか未知数だった)せいもあって、予想外に楽しめました。
 登場人物の名前からしてふざけているとしか思えないものだったりする部分はありますし、ところどころに例によって「はふぅ」だの「うげらぽん」だののまほろ語は入るものの、それがいかにも作り込みました的なキャラクターにうまい具合にはまっていて、自分で驚くほど違和感なく読み進められました。古野まほろってこんなだったっけ??と、再度の驚き。(パノプティコン=全展望監視システム をもじった名前が紛れ込んでいたりと、凝った部分などは個人的にはニヤリとしてしまいました。)勿論、当世ありがちな、衒学的語りを繰り広げるライトノベル的なキャラクターが駄目という読者には必ずしもオススメ出来ないものの、このキャラクター、この世界観だからこそ馴染む大掛かりな舞台立てとトリックは、純粋にミステリとして楽しめる出来栄えと言えるでしょう。
 かつて現実で起こった事件であるスタンフォード監獄実験を思わせる、囚人役と看守役によるロールプレイ状況に加え、期限を定められた死のゲーム、不可能状況での脱出トリックなど、とにかく舞台立ての良さが読者を惹きつけるものとなっています。
 また、脱出の物理トリックの大仕掛けさもさることながら、、それを下支えする錯誤への伏線の緻密さと、随所にヒントとして織り込まれるフェアプレー精神もしっかりと評価できるものとなっているでしょう。そして、予想を超えるトリックの非現実的なまでの大掛かりさの反面、細かく貼られた伏線と提示される証拠の緻密さ、あるいは動機づけの明快さや説得力といった部分がある事で、作品全体としてのバランスが取れていることも、本作の成功要因かもしれません。