小路幸也 『ナモナキラクエン』

ナモナキラクエン (角川文庫)
 「楽園の話を聞いてくれないか」と言って突然倒れ、そのまま帰らぬ人となった父親。それぞれ母親が違う「山(サン)」「紫(ユカリ)」「水(スイ)」「明(メイ)」の四人の兄妹たちは、父親の遺言に従って身内だけの葬儀を終えると、夏休みを利用してそれぞれの母親に会いに行くことを決意します。長男の「山(サン)」は、幼い頃から次々に「母親」が家を去って行ったことで生まれた空虚さを埋めてくれる恋人のはるかと、「紫(ユカリ)」は彼が全てに対して演技をしていることを的確に見抜いたことで恋人となった仲田と、二男の「水(スイ)」は兄の山と、そして末っ子でまだ幼い「明(メイ)」は家族全員で、それぞれの母親の住む場所へと訪ねて行くことになります。

 家族というテーマで著者が描く作品としては、『東京バンドワゴン』シリーズの印象が強いですが、本作では全く風合いは違うものの、世間一般のそれとはかたちは変わっていても、確かな絆のある「家族」の姿が描かれています。それと同時に、家族という枠組みの中にあっても、そこにあるのはあくまでも個としての人間であるがゆえに、それぞれの成長の物語にもなり得たのだと言えるでしょう。
 本作において父親の作り出した「家」という楽園は、複雑な家庭環境ゆえに内心で抱えるものがありながらも真っ直ぐに進んでいく四人の子供たちと、彼らを守る大人たちによって成り立っています。特に、登場する大人たちが皆とにかく格好良い大人であり、「こんな大人たちにいてほしい」あるいは「こんな大人でありたい」と思わされます。そして、作品内では必ずしも直接的に登場しているシーンは多くないものの、四人の兄妹たちの父の存在こそが、この作品の根幹を形成しています。本作は、この父の持つ「楽園」への揺らぐことのない信念が物語の根底にあるからこそはじまる、彼を失った後の子供たちの物語とも言えます。
 さらに、描かれる家族の場は、言ってみればユートピアであり、現実には存在し得ないファンタジーの世界のような現実感のなさをも伴っていますが、そのことが作品にとっては決してマイナスになっていません。ユートピアは「理想」であるからこそユートピアなのであり、フィクションの世界だからこその魅力を存分に持った世界観があるのだと、そしてその理想を心のどこかに持っていたいと読者に思わせることのできる、物語の持つ強さが本作にはあるのかもしれません。
 ぬくもりを持ったノスタルジックさを感じさせる作風の多い著者ですが、本作においてはどこか一歩引いていながらも確固たる価値観を持った登場人物たちにより繰り広げられる物語の世界観は、ある種伊坂幸太郎の持ち味に近い洒脱さや空気感をも持っているようにも思います。
 そして、兄妹たちが母親に会いに行く旅により、彼らはそれぞれ自分のルーツの一端を目にすることとなります。モーリス・マイナー・トラベラーという父の遺したクラシックカーで巡る夏の旅は、四人の母親たちを訪ね、そこから四人の兄妹の一人一人が自分を見据えることで終わりを迎えます。彼らの父親の意思がどこにあったのか、なぜ彼らはこんな家族のかたちになったのかが全て明らかになることで物語も終わりを迎えますが、彼らの旅の、そして物語の終わりを少しでも先にのばして、もっと読み続けていたかったような気持になる一作でした。