佐々木丸美 『榛家の伝説』

榛家の伝説
 橡家の三人の遺産相続人の末裔の一人である睦美が、遺言状の中に書かれた「仁科」を探すために、百人浜に聳える館へとやって来ます。この時館では、涼子と哲文のおばであり、館の女主人が体調を崩しており、医者や食事療法の専門家が集められていました。波路から託され代々一人だけに伝えられた遺言状とともに、不老長寿の秘薬を継承する榛家の遺産を巡り、哲文らは策を巡らせます。ですが、少女の恋心は事態を思わぬ方向へと導いて行きます。

 輪廻と時間移転を中心に幻想的な空気の中で綴られた前作から一転して、物語は現代の館での心の機微をついた駆け引き中心に展開されることになります。館に現れた榛家の遺産相続人である睦美の恋は、かつて『水に描かれた館』で吹原に惹かれた涼子のそれとオーバーラップしながらも、遺産と不老不死の秘薬を巡る疑心暗鬼の中で歪められようとします。そうした中で単純に敵と味方という風に二元化されることなく描かれる人間関係と駆け引きが、非常にやわらかな筆致で描かれています。
 また、館の中での涼子の幻視と時間移転は、伏線的にも緻密であり、ほんの僅かではありますがミステリ的な要素も窺がえる興味深いものであり、結末へ向けて物語のピースをあるべき位置へと嵌める重要なものとなっています。
 全体的に話の展開だけを見れば、前作に比べて地味な印象もありますが、シリーズの真ん中に位置する物語としてはおそらく次作への架橋でもあったでしょうし、涼子の視点といい、睦美の心の揺らぎといい、非常に詩情に満ちた作品であるということが出来るでしょう。
 ですが、何と言っても惜しむらくは、本シリーズがあと1冊を残して完結することなく、そのために「遺産」が明確になることなく著者が亡くなってしまっていることでしょう。ただ、具体的に「遺産」が描かれることが無かったからこその魅力というものもあるのかもしれません。