クリストファー・プリースト 『魔法』

魔法
 爆弾テロに巻き込まれて重傷を負ったカメラマンのリチャード・グレイは、その事件の前の数週間の記憶が抜け落ちています。療養中の病院に訪ねて来たスーザンが、抜け落ちた記憶の中で非常に親密な交際をしている相手だと知ったグレイは、彼女との再会を切欠に徐々に記憶を取り戻しはじめます。ですが、フランス旅行中に出会い急速に惹かれ合ったスーザンには、6年も前から交際を続け、彼女の心が離れても別れることが出来ずにスーザンの生活に介入してくるナイオールという恋人がいました。スーザンは何故ナイオールと離れられないのか?グレイの疑念にようやくスーザンが答えた時、彼らの世界は新たな様相を見せはじめます。

 原題の"The Glamour"が重要なキーワードとなる作品ですが、残念なことにこれを端的に言い表す訳語に出来なかったために、途中読んでいて戸惑う部分はあります。ですが、曖昧で遠回しな叙述の意味する物が分かりはじめれば、本作は人間の意識と世界の位相を上手い具合に絡めた幻想的なモダン・ファンタジーとしても、またある種のミステリとしても高く評価し得る作品でしょう。
 中盤までは、主人公グレイと、かつての恋人と共依存しているかのようなスーザンとの恋愛模様が、グレイの記憶から失われた期間を軸に淡々と、ですが美しく綴られる物語ですが、スーザンによってナイオールという元恋人の存在が浮き彫りにされるに従って、物語の質がガラリと変わってきます。
 そして行き着く結末においては、完全にそれまでの世界構造が崩壊し再構築される、まさに「魔法」を目の当たりにさせられました。