山口雅也 『キッド・ピストルズの最低の帰還』

キッド・ピストルズの最低の帰還
 パンク族や前科者までをも徴用したために著しく質の悪化した警察機構を補うため、「探偵士」が捜査権を持つ「パラレル英国」のシリーズ。

弓矢をはじめとした古武具のコレクションを有するロビン卿のもとに招かれた探偵士のブル博士に、パンク警官のキッドとピンクは同行させられます。日本の弓道を教える師匠であるジャクエモンと弓道の思想面での対立をしていたロビン卿は、二つの塔の間で弓を射る儀式を行なうことで対立に決着をつけようとします。しかし遠く離れた塔から矢が届くはずもなく、逆に密室となった塔の中でロビン卿が放った返し矢に射抜かれて死んでいるジャクエモンが発見されました。そして、この一部始終を見ていたかもしれない怪盗の「蠅男」までも出て来て、事件は「誰が駒鳥を殺したか」のマザーグースの唄の様相を呈してきます。(『誰が駒鳥を殺そうが』)
南国のリゾートで滞在客である貿易商が殺された事件が起こり、犯行時刻に被害者の部屋から出てきた男の姿が目撃され、それは被害者の息子のひとりであることだけはわかりますが、その息子たちが三つ子であったために誰が犯人か分からなくなります。休暇で訪れたパンク警官のキッドとピンクですが、犯行時刻中はダイビングを行なっていたという三人のアリバイ証言を崩そうと試みます。(『アリバイの泡』)
片田舎のセント・アイヴスで、町外れに住み着いた新興宗教の教祖が、7人の女たちとその子ども達とともに生活していることで、女たちの家族との対立が起こっていました。子どもへの虐待を手掛かりに、町の住人は地元警察と連携して彼らの棲家と町の間の一本道を封鎖して挟み撃ちにする計画を立てますが、その途中で子ども達は忽然と姿を消してしまいます。ガソリンスタンドでは確かに袋詰めにされる子どもを見たという証言がありましたが、発見されたトラックからは、子どもの代わりに袋詰めにされた猫と猫のトイレの砂しか見つかりませんでした。(『教祖と七人の女房と七袋の中の猫』)
<三匹の盲目の鼠>の三人組のライブに感銘を受けるキッドですが、次に聴きに行った時のオーディションも兼ねた彼らの演奏は惨憺たるものでした。さらには、メンバーの一人の従兄弟であり、「なまず」と呼ばれた元マネージャーがこの演奏中に不審死を遂げます。(『鼠が耳をすます時』)
超能力を持つ7人の子ども達を集めて研究を行なう施設から、子どもの一人「マンデイ」から助けを求める手紙が探偵士べヴァリー・ルイスのもとに届けられます。そして、透視、テレパシー、テレポーテーション、予言などの超能力を持つ子ども達の中の一人が、手紙に記してあった時間に密室で死んでいるのが発見され、さらには予言の能力持つ子どもがキッドの死を口にします。(『超子供たちの安息日』)

 実に13年ぶりになるキッド・ピストルズの「パンク=マザーグースの事件簿」シリーズの最新刊。
 うち、『アリバイの泡』『鼠が耳をすます時』の二編は1995年に発表されたものですが、残り3篇は2007〜2008に発表されたものであり、シリーズの復活に相応しいものとなっていると言えるでしょう。
 特に冒頭の『誰が駒鳥を殺そうが』は、ミステリ史上においても最も好まれるモチーフである「誰が駒鳥を殺したか」のマザーグースの唄を見事になぞるものとなっており、そこに日本独自の弓道や禅の思想を織り込むなど、著者らしい趣向が凝らされています。
 また、目撃証言が決め手となりえない状況での巧妙なアリバイ崩しをテーマとした『アリバイの泡』も、おそらく知っていれば大きなヒントとなる伏線はキッチリ織り込まれており、決して謎の難易度そのものは高いわけではありませんが、状況の創出が実に巧みな作品となっています。
 そして大掛かりな人間消失トリック、その実一歩間違えれば確実に悪い意味でのバカミスになり兼ねないところを、絶妙な加減とミスリーディングの巧みさで面白い一作となっています。一見して単なるカルト教団を舞台にした人間消失ミステリですが、結末で全てが明かされてみれば実にパンク探偵キッドらしい解決となっていると言えるでしょう。
 そして特殊な殺害方法を用いてこれもまたある種のバカミス的な要素の濃い作品ですが、丁寧な伏線とフェアプレイの精神に則った手掛かりの提示によって、物語の構図が楽しめる『鼠が耳をすます時』は、フーダニットやハウダニット目的ではなく、あくまでも物語を楽しむ作品となっています。
 末尾を飾る『超子供たちの安息日』は、ミステリにおいては禁じ手でもある「超能力者」を多用しながらも、事件の謎の解明にはあくまでも探偵の論理的思考が主導するという部分で作者の手腕が冴えている一作。
 全作品とも、(うち2作は近作ではないものの)13年というブランクを経てもなお、シリーズ作品としてのアベレージはクリアしており、マザーグースをモチーフに織り込んで、かつこの「パラレル英国」という舞台でのみ成立する状況の創出において、まったく年月のブランクを感じさせないものとなっています。
 ただし、中編である『キッド・ピストルズの妄想』において展開されるアイロニーに見られるような密度の濃さはなく、どれを取っても一定のレベル以上の作品ではあるものの突出したものもないという印象は否めません。
 ですが、いずれも単なるフーダニット・ハウダニットの追求に終わらない、特殊状況の中でのみ成立する謎と論理の物語は、著者ならではのマザーグース・ミステリとしての高いエンターテインメント性を確立していると言えるでしょう。